江戸地廻り経済の活性化と技術成長とは? わかりやすく解説

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江戸地廻り経済の活性化と技術成長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:48 UTC 版)

松平定信」の記事における「江戸地廻り経済の活性化と技術成長」の解説

松平定信は、経済政策として「江戸地廻り経済」(関東経済圏)の活性化技術成長促す事で「上方一強」の打破目指した。 寛政年間松平定信は「西国ヨリ江戸ヘ入リクル酒イカホドトモ知レズ、コレガタメニ金銀ヨリ西ヘ移ルモノイカホドト云ウコトヲ知ラズ江戸民衆酒代でどんどん関西お金流れてしまっている)」と嘆き江戸の金が上方流れるのを少しでも阻止しようとしたとされる。その為に江戸近郊作った地廻りの酒を普及させようと、希望者に資金貸し付けたり上方の酒の入津制限行なうなどの政策をとった。 また、酒に限らず江戸商品需要かように上方からの下りものに頼ると、輸送費がかかる分だけ江戸で消費者物価高くなり、大量金銀江戸から流出することにも繋がる。このような状況が続くのは、為政者である幕閣にとっても好ましくなかった。よって、幕府寛政2年1790年)から改善試みることにした。 「下り物」に負けない製品生み出す事を目指し「酒」や「木綿」「醤油」などの改良奨励したその結果醤油木綿など、幾つかの品目においてはある程度成功収め、特に醤油については銚子野田土浦などで、大成功収める至った関東人間嗜好合わせた濃口醤油普及した結果時代が下るにつれ「下りもの醤油」の輸入減っていった。文化年間普及した濃口醤油」、「上総木綿」、「本味醂」などが広まったのは定信以降幕府後押し職人達の努力成果といえる木綿醤油違い酒造に関して上手くいかなかった。寛政年間幕府関八州拝借貸与し、「御免関東上酒」の製造命じ江戸で直接小売販売行わせるなどして、関東地方酒造業保護育成行った。これは、関西地方から流入する下り酒」に、江戸から流出する富の東西不均衡是正する意味もあったが、関東酒の水準上の原動力となった。 しかし、一定の成果こそ収めたものの、上方の酒の品質に勝つ酒はついぞ造れず、関東で酒を造り始めた酒家続かず発行され酒株明きとなることも多々あったとされる関東酒蔵品質飛躍見せるのは明治時代後期においてである。 他にも新設し勘定所御用達江戸に住む者のみを充て上方市場対す江戸市場地位引き上げようとした。さらに多額貨幣東から西流れることを正すため、南鐐二朱銀西国筋や中国筋への流通促し金本位による統一的な貨幣市場作ろうとした(p88)。

※この「江戸地廻り経済の活性化と技術成長」の解説は、「松平定信」の解説の一部です。
「江戸地廻り経済の活性化と技術成長」を含む「松平定信」の記事については、「松平定信」の概要を参照ください。

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