江戸城入城以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 03:04 UTC 版)
「実成院 (徳川家茂生母)」の記事における「江戸城入城以降」の解説
将軍生母の住まいである新御殿には先代将軍家定生母本寿院が、御台所御殿には先代将軍家定御台所天璋院が居住していたため、実成院は七宝の間に居住した。それまで七宝の間に居を構えていた御年寄・瀧山は実成院の入居に伴い、七宝の間から鶴の間に移動した。文久2年(1862年)には仁孝天皇皇女で孝明天皇皇妹の和宮を家茂の正室として江戸城に迎え入れる。実成院は派手好きで、朝から酒を飲み、乱痴気騒ぎを起すこともあったという。慶応2年(1866年)に家茂が大坂城で21歳で没した後も江戸城に居住し、慶応4年(1868年)に官軍による江戸開城にともない、静寛院宮(和宮)とともに田安徳川家の屋敷に移った。 明治37年(1904年)に東京千駄ケ谷の紀州徳川邸において84歳で死去し、寛永寺に本寿院と並んで葬られた。法名は実成院殿清操妙壽大姉。
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