氷河の発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 05:49 UTC 版)
噴火後の数ヶ月経っても、セントヘレンズ山の火口原は熱く不安定だった。小規模の噴火が5回発生し、1980年の5月から10月にかけて溶岩ドームが形成された。噴火が収束した1980年の冬になると、火口原は雪と氷が堆積可能なまで十分に冷却していた。1980年から1981年にかけての冬季の降雪を嚆矢として、火口の陰で氷河が非常に急速に成長を開始した。氷河の厚みは1年に15メートルのペースで増大し、北へと拡大していった。火口内部で氷河が成長していることに科学者が気づくまでに、7年から9年は経過していた。しかし氷河の存在が文献に記載されるには1999年まで待たなければならなかった。2004年までに、クレーター氷河の面積は0.93平方キロメートルまで広がり、1980年以前にあった氷河の面積の20%に達していた。そして1980年の溶岩ドームの東西を氷河が流れるようになっていた。 火口原からの火山性ガスの噴出により、氷河洞窟(英語版)(氷洞(英語版))がかつては滑らかだった氷河の表面に口を開き、1990年代の末までにいくつかは調査されている。 2004年から2008年にかけての火山活動の結果、氷河の先端は新たな溶岩ドームの生成により火口壁との間で圧迫され厚みを増していった。氷河の2つの流れがカルデラ壁と新たな溶岩ドームに挟み込まれて圧迫されたことにより、歯磨き粉が容器から搾り出されるように氷が急速に流下していく。この結果、氷河の先端は急速に拡大し、まず最初に、氷河の西側の流れが西壁の岩石氷河と合流し、続いてクレーター氷河双方の流れが火山活動にかかわらず、1980年の溶岩ドームの北側でつながった。加えて、火山活動は氷河の表面をほとんどクレバスのない状態から、火口原と溶岩ドームの成長による動きによりクレバスが縦横に交差して無秩序にアイスフォールとセラックが入り混じる形状に変えてしまった。氷河の南端では、新たな溶岩ドームが氷河の氷を体積にして10%も融解し、クレーター氷河を2つの別々の氷河に分離する寸前までいった。しかしながら氷河の縁で冷却された岩石が、溶岩ドームから湧き出る700度に達する溶岩から氷河の氷を隔離し、氷河の融解による壊滅的なラハールの発生を防ぎきった。火口原は多孔質な岩盤からなっていたため、カルデラの外に流れ出る融水の量を減少させた。 2000年代の火山活動終了後、氷河の厚みは増加を続けたが、増加率は年間5メートルにまで落ちている。氷河の拡大も継続し、1日に1メートルの割合で流れている。近くの火口壁の東斜面では、氷河に岩石氷河の一つが合流し、もう一つの岩石氷河にも近接している。中央モレーンが、クレーター氷河の東西の流れが合わさるところに形成されている。
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