水原監督時代とは? わかりやすく解説

水原監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 11:59 UTC 版)

読売ジャイアンツ」の記事における「水原監督時代」の解説

1950年 復帰した水原茂監督据えてリーグ分立1年目は8球団3位1951年 シーズン途中来日し入団した与那嶺要活躍もあって2リーグ分裂後初優勝1952年 8月8日、対広島11回戦の勝利日本プロ野球史上初の公式戦通算1000勝。 1953年 初めての海外キャンプサンタマリアで行う。このシーズンは、開幕から1回首位から転落することなくリーグ3連覇達成シーズン通して首位完全独走優勝したのは球団史唯一の記録である。日本シリーズでは、1リーグ時代からの宿敵南海ホークス3年連続下し日本シリーズ3連覇達成第2次黄金時代築き上げた1954年 杉下茂擁する中日ドラゴンズ優勝し2位となる。 1955年 リーグ優勝日本シリーズでは南海との対戦となり、1勝3敗から3連勝。4勝3敗で逆転日本一達成するこの頃から第2次黄金時代支えた千葉茂川上哲治らに衰え目立ち始め水原新旧交代をしなければならなくなった1956年 リーグ優勝果たし日本シリーズでは水原茂入れ替わり巨人退団した三原脩監督率い西鉄ライオンズとの対決となる。以後日本シリーズでは、3年連続巨人西鉄との対決となり、両者戦いは「巌流島決戦」とマスコミ喧伝された。 1958年 立教大学から長嶋茂雄入団し初年度から3割2937盗塁活躍見せる。日本シリーズでは、第1戦から3連勝するも、第4戦から稲尾和久力投などで4連敗喫し、3勝4敗の逆転3年連続西鉄敗退この年限り川上哲治現役引退している。 1959年天覧試合」も参照 6月25日阪神11回戦(後楽園)はプロ野球史上初めての天覧試合となった。この試合で王・長嶋がはじめて2人ともホームラン打ち(ONアベック第1号)、9回ウラには長嶋阪神村山実からこの日2本目となるサヨナラホームラン放ち5-4勝利を収めた成績リーグ優勝果たし4連覇日本シリーズでは南海ホークス対戦するが、南海エース杉浦忠前に打線沈黙、4連敗ストレート負け敗退1960年 三原脩当時6年連続最下位だった大洋ホエールズ監督就任し、再び「巌流島対決」と呼ばれる大洋三原の手腕によって巨人優勝争い演じ、ついに巨人破ってリーグ優勝巨人大洋4.5ゲーム差2位終わったシーズン終了後水原茂監督勇退した。

※この「水原監督時代」の解説は、「読売ジャイアンツ」の解説の一部です。
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