民主化政策と天安門事件とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 民主化政策と天安門事件の意味・解説 

民主化政策と天安門事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:22 UTC 版)

趙紫陽」の記事における「民主化政策と天安門事件」の解説

1989年4月北朝鮮公式訪問中に留守預かった李鵬保守派誇張され報告信じた鄧小平が、『人民日報』に掲載させた「旗幟鮮明に動乱に反対せよ」(四・二六社説)で学生運動動乱表現したことに対して論調和らげるよう主張して帰国後から鄧小平李鵬らと撤回し軌道修正巡って論戦になった5月3日五・四運動70周年記念式典では学生たちの愛国心評価し、翌5月4日にはアジア開発銀行理事会総会で「学生たちの理にかなった要求民主法律通じて満たさなければならない」「我が国法制度欠陥民主的監察制度不備腐敗をはびこらせてしまった」などと演説した後者秘書でありブレーン鮑彤起草したもので、政治局常務委員会党中央書記処見せること無く発表した北京市長(当時)の陳希同5月8日政治局常務委員会会議四・二六社説精神一致しない指摘したが、趙は「間違っていたら責任を取る」と反論したアジア開発銀行理事会総会における演説政治局常務委員長老反応まずまずであり、デモ沈静化一定の効果もあった。15日ミハイル・ゴルバチョフ訪中控えていたこともあり、鄧小平趙紫陽要求する四・二六社説論調和らげることを考え始めたが、5月12日には翌日から学生絶食始めることがわかり、趙の穏健戦略事実上破綻した10日政治局会議対話路線スタートした矢先出来事で、ゴルバチョフ中国訪問までに天安門広場占拠やめさせることはできなかった。なおゴルバチョフ会見臨んだ趙紫陽当日人民大会堂での会見記者前にこう語った。 “鄧小平同志1978年十一三中全会以来,是国内外公認的我們党的領袖。儘管在十三大根据他的請求,他退出中央委員会退出政治和常委会,但是我們全黨都知道,我們離不開他,離不開他的智慧經驗。因此,十三一中全会郑重作出决定,在最重要的问题上,仍然需要邓小平同志掌舵。”鄧小平同志1978年第11期3中全会より国内外認める我々の党の指導者だ。第13回党大会における彼の要求に基づき中央委員会政治局政治局常務委員会からは退いたが、我々全党は彼から、彼の知識経験からは離れられないことを知っている。第13一中全会では正式な決定行っている。これは公布していない重要な決定だ。つまり、我々は最も重要な問題において彼の操舵を必要とするというものだ。 このように最終決定権鄧小平にある」ことを明かした鄧小平局面悪化責任負わせる意図があると見られ、また周囲そのように感じた。この発言鄧小平趙紫陽の関係は破綻した16日夜の政治局常務委員会でも趙紫陽依然として四・二六社説修正主張したが、喬石胡啓立趙紫陽に近い常務委員楊尚昆薄一波難色示した17日に朝から鄧小平私邸政治局常務委員会開かれ前日同様に常務委員5人・楊尚昆国家主席薄一波元老2人出席したが、柔軟路線賛成するはおらず鄧小平北京戒厳令発令するよう提案した常務委員会の採決では李鵬姚依林賛成趙紫陽胡啓立反対喬石棄権した鄧小平委ねられた。趙は党中央代表して学生たちに絶食中止するよう求め文章人民日報掲載させたが効果はなかった。 18日鄧小平八大元老辞意示し体調崩した趙紫陽除いた常務委員洪学智劉華清秦基偉中央軍事委員会委員との会談戒厳令発令決定し席上趙紫陽対す批判相次いだ19日午前4時趙紫陽天安門広場絶食続け学生たちの前に向かい、「我々は来るのが遅すぎた。申し訳無い」と声を詰まらせながら約8分間拡声器を手に学生たちに絶食をやめるよう呼びかけた。趙紫陽公の場に姿を見せたのは、これが最後となった午後10時から開かれた戒厳令布告する大会には「体調不良のため欠席したその後6月3日から翌4日にかけて、デモ隊武力弾圧された(第二次天安門事件)。

※この「民主化政策と天安門事件」の解説は、「趙紫陽」の解説の一部です。
「民主化政策と天安門事件」を含む「趙紫陽」の記事については、「趙紫陽」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「民主化政策と天安門事件」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「民主化政策と天安門事件」の関連用語

1
6% |||||

民主化政策と天安門事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



民主化政策と天安門事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの趙紫陽 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS