民主化運動への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 05:05 UTC 版)
「ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)」の記事における「民主化運動への影響」の解説
さらに1980年代後半以降の東欧の民主化運動において、精神的支柱の役割を果たしたともいわれている。特に、冷戦下で独裁政権下に置かれていた母国ポーランドの民主化運動には大きな影響を与えている。 ポーランドは国民の98%がカトリック信者であり、教皇が着任8ヶ月後に初めての故国訪問をしたが、熱狂的歓迎をもって迎えられた。ヨハネ・パウロ2世はワルシャワのユゼフ・ピウスツキ元帥広場に集まった人々に「恐れるな」と訴えた。その4ヶ月後の「独立自主管理労働組合「連帯」」が率いたストライキなどを経て政権は妥協路線を走り始め、1980年代後半の冷戦終結時には民意に押されて政権が民主路線へ転換している。 なお、このような民主化運動への後援の姿勢がソ連を始めとする東側諸国の政府に脅威を感じさせ、後の暗殺未遂事件(後述)につながったという指摘があった。また貧困問題・難民や移住者の問題などの社会問題にも真摯な取り組みを見せた。
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