民主化以降の民衆歌謡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 07:52 UTC 版)
1987年1月の朴鍾哲拷問致死事件、6月のデモで李韓烈が戦闘警察の発射した催涙弾に打たれて意識不明の重体に陥った出来事をきっかけに民主化を求めるデモは、学生だけでなくサラリーマンや公務員など広範な人々を巻き込んだ大規模な闘い(6月民衆抗争)に発展し、大統領の直接選挙のための憲法改正を政府・与党が認めた「6.29宣言」に結びついた。宣言以降、労働者による大規模な労働争議(87年労働者大闘争)が各地で頻発していく中で、それまで学生や知識人を中心としていた民衆歌謡は、労働者層に拡大し、本格的な労働歌謡が生まれた。「同志」「ストライキ歌」「団結闘争歌」「鉄の労働者」「娘たちよ立ち上がれ」などの歌が創られ、ストライキや集会及びデモなどの場で広く歌われるようになっていた。
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