民主化以降の三金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/08 22:12 UTC 版)
1987年6月に盧泰愚民正党代表によって発表された「民主化宣言」によって16年ぶりに大統領の直接選挙制が復活し、同年12月に大統領選挙が行われた。これまで連携して民主化運動を進めてきた金泳三と金大中は、共に大統領選挙への出馬を譲らず、それぞれの出身地(金泳三:釜山・慶尚南道、金大中:全羅道)を基盤にして大統領選挙に出馬した。そして金鍾泌(新民主共和党)も出身地の忠清南道を基盤に大統領選挙に出馬し、大邱・慶尚北道で支持を受ける盧泰愚を含めた4人の有力候補は一盧三金と呼ばれた。各陣営は、それぞれの出身地域における地域感情に依拠した選挙戦を展開した。野党勢力が金泳三(統一民主党)と金大中(平和民主党)で分裂したことにより、与党民主正義党の盧泰愚候補が勝利する結果となった。 翌年4月に行われた第13代総選挙で3金が主導する政党(統一民主党・平和民主党・新民主共和党)が、それぞれの地盤地域(釜山・慶尚南道、全羅道、忠清南道)にて圧倒的な支持を集めたことで、地域割拠的な政党体制が成立することになった。そして資金や党人事・選挙における公薦公認の権限を独占することで、3金は党内で圧倒的な影響力を有するようになり、韓国の主要政党は3金の「個人政党」的な色彩を強く帯びるようになった。
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