民主化以降、近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 05:52 UTC 版)
1989年に勃発したビロード革命による民主化に伴い、コシツェ市電を含めた公共交通機関の運営権は再度コシツェ市に移管された一方、モータリーゼーションの進展や経済の停滞に伴い公共交通の利用客が減少し始めた事から、3両編成の廃止を含めた編成の短縮が行われた。民主化前の1986年からビロード離婚によりコシツェ市がスロバキアの都市となる前年の1991年にかけては3車体連接車のタトラKT8D5が導入されていたが、輸送力が過剰となった事から多くの車両は他都市へ譲渡され、代わりに1両でも運行可能なタトラT6A5の増備が実施された。また、運営母体についても1993年の閣議決定を経て1995年に公営組織から合資会社へと移管し、1999年に社名を「Dopravné podniky mesta Košice」から現在の「Dopravný podnik mesta Košice」に変更している。 2000年代以降は既存の車両の機器更新やバリアフリーへの対応工事が実施された一方、路線についても長期運休を挟んだ大規模な更新工事が行われるようになった。この動きが本格化し始めたのは、欧州連合からの補助金を基にした大規模な近代化計画が実行に移された2014年からであった。同年から2018年まで3度に分けて各路線の更新(Modernizácia električkových tratí、MET)が行われ、レールや架線の交換や電停の移設、軌道の緑化などの近代化が実施された他、車両についても長期に渡って使用されていたタトラT3の置き換え用として同年から部分超低床電車のヴァリオLF2プラスの導入が始まった。今後も1970 - 1980年代に建設された路線についての近代化工事や車庫の改装工事が行われる予定となっている。 緑化軌道を走るヴァリオLF2 プラス(2016年撮影)
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