毎日放送の決断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 19:25 UTC 版)
1963年6月の番組開始当時は関西圏の毎日放送(MBS、当時のNETテレビ系列局)でも放送されていたが、テレビ寄席よりも若干早くスタートしMBSからNETにネットされた日曜正午の『サモン日曜お笑い劇場』が、関東ではまったく受け入れられなかったのと同様に、関西では関東の寄席のスタイルに馴染めない視聴者が多数出て、視聴率は低迷した。このため、7月からは水曜正午枠を自主編成に切り替えて3日は単発で『ハワイアンショー』を、10日からグロリア魔法瓶製作所の一社提供枠として『グロリアホームクイズ 歌って当ててハイ何点』を開始、10月改編から全国ネットとなった。 同年10月の改編でNETでは『テレビ寄席』を水曜日から日曜日へ移動することになるがMBSではそのままとなり、この結果MBSは『テレビ寄席』を、NETも『サモン日曜お笑い劇場』を時期を置いて互いに打ち切り合うことになった。 詳細は「よしもと新喜劇#レギュラー番組化 - 全国ネット」を参照 「斎藤守慶#対等意識とキー局指向」も参照 このとき、当時MBS社長だった高橋信三は「江戸笑芸は関西では受け入れられにくい。テレビ寄席の視聴率が低迷するのは当社にとって判りきっていたことで、互いに打ち切り合うという判断は正しかった」と述べたという。 詳細は「毎日放送#江戸笑芸番組に対する扱い」および「高橋信三#大正テレビ寄席打ち切り事件」を参照 ただし、互いに打ち切り合った当初は『テレビ寄席』(日本製麺)と『サモン日曜お笑い劇場』(大正製薬)ではスポンサーが異なっていたため、完全な企画ネット番組という位置付けではなかった。 また、1965年4月から8月までサンヨー食品の提供で『タンメンお笑い寄席』と改題して土曜14:00 - 14:45に遅れネットしていたなど、MBSでも放送が再開されていた期間があった。 ネットチェンジ後は、交通機関やメディアの発達により東西間の交流が活発となったため、MBS制作の全国ネット放送の演芸番組でも関東の芸人が出演したり、東京都内での収録を行った事例がある。
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