歴史に残る広告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 22:01 UTC 版)
呉服店から百貨店への移行期の三越の広告は、時代の最先端なものとして広告史上忘れてはならないものとして語り継がれている。 1905年「デパートメントストアズ宣言」は元旦の全国主要新聞に掲載した全面広告。「当店販売の商品は今後一層その種類を増加し、およそ衣服装飾に関する品目は 一棟御用弁相成り候 設備致し、結局 米国に行はるるデパートメント、ストアの一部を実現致すべく候」 従来の呉服屋を廃して、何でも揃うアメリカン・スタイルの百貨店を目指すことを宣言したもの。従来、老舗呉服店は、極限られた富裕層を対象にしたものだったのに対し、広く一般大衆に向けて、百貨店での買い物は遊園地のように楽しく「消費は美徳である」というイメージを植えつけていく戦略をとっていった。 1911年「春の売り出し用ポスター図案懸賞募集」実施。1等賞金は当時としては破格の1,000円。300人応募の中から橋口五葉の「此美人」が選ばれた。 1913年「今日は帝劇、明日は三越」 - 東宝が日本初の西洋式の劇場として帝国劇場を開設。来場客に無料で配付した一枚刷りの「筋書き」(プログラム)に掲載された広告のキャッチ・フレーズ。「帝劇での観劇」と「三越でのお買い物」は当時の有閑富裕階級の女性を象徴する一般庶民の憧れだと鮮烈に印象付けた。コピーライターは浜田四郎(三越の広告担当)。ポスター用の婦人画は竹久夢二だった。 1915年「春の売り出し」ポスター杉浦非水の「エンゼル」を採用。大胆な色彩と蝶の羽をつけた女性のイラストで、アール・ヌーヴォー風の画風が話題になった。非水は1934年まで三越の広告宣伝物の図案に携わっている。 1927年9月、日本初のファッションショーを開催。水谷八重子 (初代)、東日出子、小林延子の当時人気の三女優を「染織逸品会」の新衣装で登場させた。 しかし、1970年代以降、斬新な広告は伊勢丹、丸井、パルコといったより若い層にターゲットにした店に取って代わられるようになる。三越はCMキャラクターに当時、東宝の看板女優だった栗原小巻を使用。「贈り物は、やっぱり三越」と謳っていた。これは、「他の新しい百貨店とかスーパーなどではなく、ステータスの高い三越の包み紙で中元・歳暮は贈りましょう」というメッセージである。
※この「歴史に残る広告」の解説は、「三越」の解説の一部です。
「歴史に残る広告」を含む「三越」の記事については、「三越」の概要を参照ください。
- 歴史に残る広告のページへのリンク