歴史に法則性はあるのか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:36 UTC 版)
「歴史の終わり」の記事における「歴史に法則性はあるのか?」の解説
「歴史の進歩」という概念そのものが西洋的、キリスト教的であり、歴史はカオスであり、法則を見出すことは不可能であるという予定調和な運命論的歴史観批判(当時はマルクス主義的唯物史観の運命論的・決定論的歴史観の挫折から、『歴史の法則性』という概念そのものが懐疑的に見られていた。そのため、ニーチェの永劫回帰説が再評価されていた。水爆などの大量破壊兵器が生み出され、人類滅亡の危機感を煽り、深刻な自然破壊や公害問題も起きていたため、素朴な近代化崇拝に対する批判としてポストモダンという思想的ムーブメントが起きていた。また、冷戦当時、核武装したソ連が崩壊するという状況を想定しづらかった)に対して、フクヤマは民主主義の普及は不可逆的な要素であり、十分、進歩と呼びうると主張する。歴史は弁証法的に発展するものであり、ただ繰り返されるものではない。紆余曲折を経ながらも、民主国家が増えているというのは歴史的事実であり、歴史には否定できない法則性が厳然と存在するとフクヤマは主張する。
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