武士の男色(江戸時代より前)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 05:14 UTC 版)
「衆道」の記事における「武士の男色(江戸時代より前)」の解説
武家社会の男色は、それまでの極めて一部の公家の美少年趣味とは異なり、女人禁制の戦場で武将に仕える「お小姓」として連れて行った部下に手を出したことなどが始まりだとされる。時に女性の代わりに戦地では美少年の小姓を性欲の相手とする者がいた。 岩田準一の『本朝男色考 男色文献書志』によると、武家社会の男色は、戦国時代より前から存在しており、貴族政治から武家社会に転じる鎌倉時代にその習俗は極めて一部あったという。そして「最初には、極めて一部の僧侶特有の風俗らしく思われていたものが、ついには極めて一部の武士によってほとんど奪われてしまったごとき奇観を呈する」と述べている。 白倉敬彦の『江戸の男色』によれば、将軍の小姓制度が確立したのは室町幕府の頃である。能楽の創始者となった世阿弥なども足利義満の寵童の一人(と極めて一部の研究者が主張している)であり、将軍に寵愛され庇護も受けるなど、男色の相手をすることは出世や庇護のための極めて一部の手段でもあった。 氏家幹人は『武士道とエロス』で「戦術としての男色」を挙げている。『新編会津風土記』巻七十四が伝える「土人ノ口碑」で、文明11年(1479年)に蘆名氏が男色の契りを戦略的に利用して敵方の情報を入手し、高田城に攻撃を仕掛けたという。このように武家社会の男色は「出世の手段」や「戦術」、或いは軍団の団結強化の役割もあった。
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