歌手・野坂昭如
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作家・野坂昭如は1950年代から歌手活動もしている。歌手名はクロード野坂。歌手名の「クロード」は「玄人」をもじったものであり、「シロウトではないという意味」 だとされる。1969年にレコードデビュー。「マリリン・モンロー・ノーリターン」「黒の舟唄」「バージン・ブルース」や、本人出演の「サントリーゴールド」CM曲である「ソ・ソ・ソクラテス(ソクラテスの唄)」が代表曲。 「黒の舟唄」は元はヴァージン・レコードから3000枚限定でプレスされた自主制作盤『鬱と躁』の収録曲で、その後1971年2月10日、日本コロムビアからシングルとして発売されヒットした。後に多くの歌手にカバーされており、中でも長谷川きよしのカバーがよく知られている。「黒の舟唄」は1980年放送の桃屋「ごはんですよ!」のテレビCM「思い出のフォーク篇」においても使用された。 「バージン・ブルース」は戸川純のカバーでも知られる。また「バージン・ブルース」はその曲をモチーフに、藤田敏八監督により同題の映画化がされており、野坂もゲスト出演して歌を歌っている。また、野坂と同じく作家・音楽家として活動する中原昌也も暴力温泉芸者名義のアルバムで「黒の舟唄」と「サメに喰われた娘」の2曲をカバーしている。 1970年代には大学の学園祭の人気ゲストであり、女子大で四文字言葉を連発するなど挑発的なステージであった。その模様は大森一樹監督の自主映画『暗くなるまで待てない!』(1975年)にも収録されている。永六輔・小沢昭一と「中年御三家」を名乗り、1974年には日本武道館でコンサートをするなど不定期で舞台に立った。クレイジーケンバンドのライヴにもゲスト出演し共演を果たしている。その様子はライヴ盤『CKBライヴ 青山246深夜族の夜 ~ Special Guest 野坂昭如』にも収録されている。 また、時折ちりばめられる冗談なのか本気なのか紙一重の野坂独特のユーモアは、時にシュールなものとして、1990年代以降、珍曲マニアなどの好事家に注目・支持された。1999年には幻の名盤解放同盟編纂の『幻の名盤解放歌集 絶唱!野坂昭如 マリリン・モンロー・ノー・リターン』がPヴァインより発売された。 CMソング「ダニアースの唄」(1998年2月21日発売)ではCM中の衝撃的な野坂本人による畳のコスプレもさることながら、極めてインパクトの強烈な歌詞と歌唱がカルト的な人気を呼んだ。オリジナルバージョンとリミックスバージョンの二種類がリリースされたが、今では既に廃盤となったこれらのCDシングル盤は、ネットオークションに出品された際には数千円から数万円程度のプレミアム価格で取り引きされている。 西城秀樹の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が大ヒットした時、それに対抗して「Y.W.C.A.」なるカバー曲を発表。しかしライブ版(『野坂昭如 昭和ヒトケタ二度目の敗戦コンサート』収録)にもかかわらず泥酔状態で歌詞を間違えるわ、歌を女性コーラスに任せっぱなしにするわ、本人はただ喚いているだけなどやりたい放題。その上歌詞の途中「Y.M.C.A.」に対抗した曲にもかかわらず合いの手として「わい、えむ、しー、えい!(YMCA)」と発言している。後にこの歌がラジオ番組『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ)で紹介され、リスナーの爆笑を誘う。
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