機能縮小の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 01:03 UTC 版)
アメリカ太平洋軍は1963年(昭和38年)からテレタイプ、グラフィック、暗号化デジタル音声などの通信データをコンピュータ制御システムで高速処理する「自動デジタル通信網」(Automatic Digital Network, AUTODIN)の導入計画を進めており、1967年(昭和42年)10月から従来の手動式データ中継センター(Manual Data Relay Center, MDRC)に替わる新たなシステムとしてASC(Automatic Switching Center)の運用を本格的に開始した。日本国内でも1968年(昭和43年)5月からノースキャンプ・ドレイクでASC(1010号棟)の運用が始まり、アメリカ太平洋軍は長距離通信における短波無線への依存度を縮小し、核爆発時に発生する電磁パルスの影響を受けにくい海底通信ケーブルや、より高容量で信頼性の高い衛星通信へ順次切り替えていく方針を進めた。その結果、この時期から徐々に短波無線は新しい通信システムのバックアップや、地上施設と航空機及び艦船との間で交わされる通信手段として用いられるケースが多くなり、1969年(昭和44年)には在日米軍短波無線施設の削減・統合のための調査が実施された。柏通信所では1970年代に入ると海外の地上施設向けの送信に用いられていた長距離通信用ロンビックアンテナが撤去されはじめ、休閑地が目立つようになった。 1970年(昭和45年)6月30日、柏通信所は関東基地司令部(6100支援航空団)の管理下から横田飛行場(東京都福生市)の第347戦術戦闘航空団(347th Tactical Fighter Wing)の管理下へと移り、同年7月31日をもって関東基地司令部は解隊した。翌1971年(昭和46年)5月15日には第347戦術戦闘航空団が横田飛行場からアイダホ州マウンテン・ホームズ空軍基地へ移駐したため、柏通信所は臨時編成された第6100基地航空団(6100th Air Base Wing)の管理下に置かれたのち、同年11月に新編された第475基地航空団(475th Air Base Wing)の管理下へ置かれることとなった。さらに、空軍通信サービスは同年から翌年にかけて組織改編を行ない、極東通信管区と東南アジア通信管区(Southeast Asia Communications Region)を解隊したため、柏通信所を運用していた第1956通信群は、1972年(昭和47年)7月1日からヒッカム空軍基地(ハワイ)に本部を置く太平洋通信地区(Pacific Communications Area)に所属することとなった。
※この「機能縮小の動き」の解説は、「柏通信所」の解説の一部です。
「機能縮小の動き」を含む「柏通信所」の記事については、「柏通信所」の概要を参照ください。
- 機能縮小の動きのページへのリンク