機能移転と閉鎖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 01:03 UTC 版)
関東計画の実施に伴って首都圏の空軍施設機能が横田飛行場へ集約統合される一方で、他の施設よりも相対的に離れた位置に所在する柏通信所の運用が問題となっていたが、1975年(昭和50年)3月15日にアメリカ航空宇宙防衛軍団(ADC)が日本国内に設置していたOTHレーダーの運用停止を指示していたことから、在日米空軍は所沢補給廠(埼玉県所沢市)のOTH関連施設を撤去したのち、柏通信所の機能を同地へ移転することを決定したこの決定に基づいて在日米軍司令部J6(当時の通信部門)の企画・政策担当支部は、3月24日から28日にかけて横田飛行場で会合を開き、第1956通信群及び防衛施設庁の代表を交えて移転に関する調整を行った。同年、柏通信所の閉鎖が決定したため、在日米軍司令部は9月に日本人従業員の解雇予告を千葉県労政課に通知し、全ての送信業務は12月29日までに所沢へ切り替えられた。その後、1976年(昭和51年)2月1日をもって柏通信所は正式に施設・区域の運用が停止された。
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