棋風・人物
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もともとは振飛車党。その後、居飛車も指しこなすようになった。 2011年度に初タイトルの女王を獲得して以来、タイトル戦では和服を着用している。 詰将棋創作を趣味とし、2017年の4月から9月まで、朝日新聞木曜日夕刊の詰将棋欄を担当した。夫の及川は詰将棋作家として著名であり、『将棋世界』の「詰将棋サロン」を担当している(2018年10月号現在)。 2014年より出身地である小平市観光まちづくり大使。
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棋風・人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/29 08:26 UTC 版)
早見え早打ちであったとされる。昭和になって本因坊秀哉は「秀栄先生には、今でも先相先は打たれるでしょう」と語った。藤沢秀行など、現代でも好きな棋士として秀栄を挙げる者は多い。 政治家では犬養毅、大久保利通と親しかったことが、『犬養木堂伝』に記されている。朝鮮から日本に亡命していた金玉均とは交友が深く、金が小笠原や北海道に流された際にもその地を訪ねて慰めた。田村が秀栄門下となったのも金の口添えによる。
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棋風・人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 11:00 UTC 版)
「薪割り流」の異名で知られる腕力の強い豪快な棋風。昔ながらの豪傑風の「将棋指し」の代表格としてよく河口俊彦の著書などにその言行が引用される。 第25期(1974年度)棋聖戦本戦トーナメント1回戦、対中原誠戦で、先手番の佐藤が鬼殺し戦法を採用するも、わずか10手で佐藤が投了するという異例の短手数決着となった。佐藤は投了の際「こんな指し方は名人に対して失礼だ」とつぶやいたとされるが、実際は佐藤は頭痛のため1時間16分遅刻した上、頭痛の痛みに我慢が出来なくなって投了したと当時の新聞記事で伝えられている。 詰将棋・必至問題の創作を得意とした。特に詰将棋は第一人者としても知られ、生涯で10冊以上の問題集を刊行している。永岡書店発行、本人の著によると、子供の頃、将棋を指せる相手が周りにいなかったことから、一人で楽しめる詰将棋には愛着を持っていたという話であり、初心者、初級者向けの短手数も得意としていた。一方で、詰将棋作家、野口益男による「圖式靑龍篇」の後書きには、日本文芸社の著において、佐藤が剽窃を行った疑い(同著において類作が18あり、それを抗議したら剣幕を立て、恫喝に遭ったという旨)が書かれている。
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