棋風、その他とは? わかりやすく解説

棋風、その他

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 04:31 UTC 版)

坂田栄男」の記事における「棋風、その他」の解説

ニックネームとして「カミソリ坂田」の他、「シノギ坂田」「なまくら坂田」「攻め坂田」などある。 坂田全盛期山部俊郎はそのあまりの力の差を「坂田遠くなりにけりと言って嘆いた。また宮下秀洋は「坂田さんには、僕ら二子打たれるんじゃないですか」と述べている。その傑出した実績から「大坂田」と呼ばれることも多い。 高川格坂田を苦手として多くタイトル奪われタイトル戦での対戦成績坂田14勝1敗になっている。また趙治勲六段時に日本棋院選手権坂田への挑戦で2連勝後に3連敗して以降坂田12連敗し大いに苦手とした。 坂田名人本因坊となったのは43歳の時であり、名人戦23歳林海峰八段挑戦受けた際には「20代名人などあり得ない」と語ったが、2勝4敗で名人奪われる続いて林海峰本因坊他のタイトル次々と奪われ投了目前局面で「名人取られた。何もかも取られてしまった」とうめいたとされる林海峰坂田について、大きなタイトル的を絞る藤沢秀行比較し、「あらゆる棋戦全力投球、『ぜんぶ勝つ』というすごみがありました」と語っている。また「感想戦絶対に譲らない対局負かされ相手は、同じ日に2度負かされる」「対局中の『参った』『弱った』というぼやきだけは信用なりませんでしたね」と、坂田闘志満々対局姿勢回顧している他、坂田自身趙治勲について「どんなタイトルでもみんな取りに行くというバカな点も自分と同じ」とも言っている。 1962-63年に『囲碁クラブ誌上文士指導碁行い作家達と交友生まれた。特に近藤啓太郎とは親友と言える間柄だったが、近藤65年坂田モデルにした小説馬鹿な神様」を書き物議を醸した1976年には『勝負師一代 碁界を戦慄させた坂田栄男天才』を出す)。近藤紹介で、碁を知らない吉行淳之介梶山季之らへ碁の手ほどきもした。

※この「棋風、その他」の解説は、「坂田栄男」の解説の一部です。
「棋風、その他」を含む「坂田栄男」の記事については、「坂田栄男」の概要を参照ください。

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