核戦争から人類を救済する宗教として
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「オウム真理教の歴史」の記事における「核戦争から人類を救済する宗教として」の解説
1987年(昭和62年)6月、東京都渋谷区において、従前の「オウム神仙の会」を改称し、宗教団体「オウム真理教」が設立された。「真理教」の名前は石井久子以外には「いかにも新興宗教」と不評であり、もっと宗教色を隠さないと一般受けしないという意見もあったが、麻原は「救済活動をする為なのだから真理教にする」と拘った。宗教化後は多額の献金を要求するようになり、ワークも増え、会員の三分の一が脱会した。 1987年には、自分個人の解脱に至る小乗(ヒナヤーナ)の教えから、自己のみならず他人も救済する大乗(マハーヤーナ)の教えを説くようになっていた。1987年7月16日には世田谷道場で「解脱のための一番手っ取り早い方法は,自分の持っているもの 全部を空っぽにし,グルあるいはシヴァ神の求めているものを意思して実行することである」、解脱者を3万人出せば、そのサットヴァのエネルギーによって核兵器が無意味になり、真理は一つになる」と説法した。同年8月に刊行した書籍「イニシエーション」では「1993年までに世界各国に二つ以上の支部ができなかったら、1999年から2003年までに確実に核戦争が起きる」と予言し、「核戦争を回避するためには,オウムの教えを世界に広めていかなければならない」と教団による人類の救済を説いた。 麻原は解脱して超能力を身に付けたといい、神秘体験に憧れる若者を中心に組織を急速に膨張させていく。さらに麻原は自らをヒンドゥー教の最高神の一柱である破壊神シヴァ神あるいはチベット密教の怒りの神「マハーカーラ」などの化身だとも説き、人を力尽くでも救済するこの神の名を利用し目的のためには手段を選ばず暴力をも肯定する教義へと傾斜していく。 麻原は自らの権威づけをかねて主要な弟子を引き連れて世界各地の宗教聖地を巡った。1987年、「麻原の前世が古代エジプトのイムホテップ王であった」ということから、同王が埋葬されているピラミッドの視察目的でエジプトツアーを行った。後に麻原は自著において「ピラミッドはポアの装置だ」と述べた。1987年11月にはニューヨーク支部を設立させるが、後に麻原はアメリカは666の獣・悪魔の勢力だと主張し、撤退している。 1988年元旦に刊行した著書『マハ一ヤーナ・スー卜ラ 大乗ヨーガ経典』で麻原は大乗仏教とヨーガ哲学を混淆させたうえで、「現代の人間は、まあ大体地獄か、餓鬼か、動物かに生まれ変わる(略)なぜかというと、まず殺生をしますね。盗みもします。邪淫もしますし、嘘もつく。酒は飲むと。これはもう救済の方法がない」と現代社会に対しきわめて否定的で厭世的な見方をした。
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