核兵器削減への取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:13 UTC 版)
詳細は「反核運動」および「核兵器禁止条約」を参照 核兵器の計画時から現在までの、核兵器の開発・保有・使用に対する、管理・規制・反対・廃絶などの動きには以下がある。 第二次世界大戦中の原爆使用に反対する動きはフランクレポートがあり、第二次世界大戦終了後にはパグウォッシュ会議などがある。 1959年の南極条約以来、各地域で非核地帯が条約で設定された。一部の条約は核保有国も参加している。 核実験の制限には、1963年の部分的核実験禁止条約があるが、地下核実験を含め禁止する1996年の包括的核実験禁止条約 (CTBT) は、2022年現在も発効していない。ただし臨界前核実験はいずれの条約でも禁止されていない。 核兵器の拡散防止では、1968年に国連総会で核拡散防止条約 (NPT) が採択された。これはアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国(五大国)のみを国際的に認められた「核兵器保有国」として核軍縮義務を規定し、他の「非核兵器保有国」の核兵器保有を禁止し「核の平和利用」に限定するものである。 主要な核兵器保有国間であるアメリカとソ連は、1969年から戦略兵器制限交渉 (SALT) が行われ、1972年には第一次戦略兵器制限交渉 (SALT-I) および弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)が締結されたが、後継の第二次戦略兵器制限交渉 (SALT-II) はソ連のアフガニスタン侵攻に反発するアメリカ議会により批准されずに無効化した。1982年からは戦略兵器削減条約 (START) が開始され、1987年には中距離核戦力全廃条約が締結され、1991年に両国政府が相互査察により条約の履行を確認した。1991年には第一次戦略兵器削減条約 (START I) が締結され、2001年に両国政府が相互査察で条約の履行を確認した。1993年には後継の第二次戦略兵器削減条約 (START II) が調印され、アメリカ上院は批准したがロシア議会が批准せず、1997年に米露両国政府が条約の履行時期の2007年への延期とミサイル防衛システムの配備を制限する追加議定書に署名し、ロシア議会は批准したがアメリカ上院が批准せず条約は発効しなかった。2001年にはミサイル防衛を推進するアメリカによって弾道弾迎撃ミサイル制限条約の破棄が行われたため、ロシアは第二次戦略兵器削減条約を実行しないと表明した。2002年にはモスクワ条約が締結された。2010年には第四次戦略兵器削減条約が締結された。 国連総会では1994年から2012年まで19年連続で核兵器廃絶決議を採択している。2009年はアメリカが初めて共同提案国となった。2009年にアメリカのオバマ大統領は、アメリカ合衆国大統領としては初めて核廃絶に向けた「核兵器のない世界(核なき世界)」の演説を行い、ノーベル平和賞を受賞した。しかし米国は核兵器を保有し続けることを言明した。ロシア、中国も核放棄を否定した。2012年には核兵器廃絶決議は184か国の賛成で採択された。 2010年4月にはアメリカ政府とロシア政府は第一次戦略兵器削減条約からさらに核弾頭と運搬手段を削減する第四次戦略兵器削減条約に署名した。
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