本館・分館体制とは? わかりやすく解説

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本館・分館体制(1956-1993)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:03 UTC 版)

飯田市立図書館」の記事における「本館・分館体制(1956-1993)」の解説

1956年昭和31年9月30日には飯田市座光寺村松尾村竜丘村三穂村伊賀良村山本村下久堅村合併して新・飯田となったことに伴い市立飯田図書館本館旧7設置していた公民館図書室飯田図書館の分館とする複数体制移行した公民館図書室から飯田図書館分室へと移行した旧7では、職員異動発生し図書室拠点活動していた女性学習活動動揺させた。その後飯田市域の拡張に応じて分館増やしていき、旧飯田町上飯田町内でも分館分室整備していった。また児童奉仕重視運営方針掲げられ1972年昭和47年7月に「飯伊子どもの本研究会」が飯田図書館飯田下伊那学校教師によって設立された。研究会員の一部身近に本を借りられる環境整えることが大事であると考え、独自の文庫立ち上げ最盛期1979年昭和54年)には飯田市内に20もの文庫存在した1974年昭和49年2月27日新館竣工し児童室・婦人文庫室・会議室設けた1978年昭和53年)には「モデル分館事業」として一部分館児童向け土曜日に特別貸出開始した本館老朽化したため、1979年昭和54年10月28日に一旦閉館1980年昭和55年3月18日取り壊して改築工事取り掛かり1981年昭和56年5月15日完成した改築工事中、1980年昭和55年1月8日飯田文化会館で仮開館実施し飯田市公民館図書室土曜貸出行っていた。1981年昭和56年7月3日竣工式挙行し、7月5日新館開館した飯田図書館の歴史上、初め図書館のために建設され建物であった職員は7人となりほとんどが司書資格有し専任館長着任した新事業として1983年昭和58年)に保健課と連携し、7か月乳児相談の際に絵本読み聞かせ開始し1991年平成3年6月15日にヤングアダルトコーナーを設置した乳児への読み聞かせは、全乳児の3分の2ほどが受けていた。 1984年昭和59年12月1日鼎町合併したことにより、町立鼎図書館飯田図書館分館とした。

※この「本館・分館体制(1956-1993)」の解説は、「飯田市立図書館」の解説の一部です。
「本館・分館体制(1956-1993)」を含む「飯田市立図書館」の記事については、「飯田市立図書館」の概要を参照ください。

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