未完だった構想とは? わかりやすく解説

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未完だった構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:00 UTC 版)

ある崖上の感情」の記事における「未完だった構想」の解説

ある崖上の感情』の発表から遡ること2年前の1926年大正15年8月、『ある心の風景』を発表した後の基次郎元に大手出版社新潮社雑誌新潮』の編集者楢崎勤から10月新人特集号への執筆依頼来て喜ぶが、結局は最終締切日の9月15日にも間に合わず文壇への足がかりチャンス辛くも逃してしまったことがあった(詳細Kの昇天#執筆前の焦燥と打開参照)。 その『新潮』からの執筆依頼受けた8月中旬、基次郎は軍の簡閲点呼のために16日の朝に東京駅発って夜に大阪市住吉区阿倍野町(現・阿倍野区王子町)の実家着いた翌日点呼の後もしばらく実家滞在し電車運転手主人公にした作品構想練っていた。 それは、帰省の際に大阪駅から阿倍野に向かう城東線から見た左右家々や、東京市電からいつも目にしていた家々の窓の内部対す想像力元にした、瞰下景や性をテーマにした作品構想であった。 なお、その前年1925年大正14年5月19日日記では、当時住んでいた荏原郡目黒町中目黒859番地(現・目黒区目黒3丁目4番2号)の八十川方の下宿地域触れ、〈阪の上より眺めし町、の美観、いつか書かんと思ふと書き10月発表した路上』では、線路沿いから見え家々内部光景惹かれる記していた。 窓から線路に沿つた家々内部見えた破屋といふのではないが、とりわけて見ようといふやうな立派な家では勿論なかつた。然し人の家の内部といふものにはなにか心惹かれる風情といつたやうなものが感じられる。 — 梶井基次郎路上」 しかし、この窓の内部テーマ完成作に仕上げることに難航し引き延ばしてもらった新潮』の締切日にも間に合わずそのままになってしまった。このとき基次郎中には主人公を3人の人物にすれば書けるという思いがあった。 また、1927年昭和2年)のノートには、高台の街に移り住んだ主人公宇津木太郎夜に上に立つ場面描いた断片草稿があり、〈眼の下には屋根と窓ばかりの町々が横たはつてゐた〉、〈闇のなかのところどころには明け放した窓が眺められる〉、〈ある崖の上、その崖はある高台の町〉、〈ある崖の上から見ました〉という記述もある。 なお、こうした高台から眺め風景への興味は、基次郎少年時代9歳頃)に暮らした東京市芝区二本榎西町3番地(現・港区高輪2丁目6番地)の高台借家から泉岳寺を見下ろす風景見ていたことから始まったものとみられている(詳細梶井基次郎#父の転勤――東京~鳥羽参照)。

※この「未完だった構想」の解説は、「ある崖上の感情」の解説の一部です。
「未完だった構想」を含む「ある崖上の感情」の記事については、「ある崖上の感情」の概要を参照ください。

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