未完に終わった天王寺駅前 - 松虫間の地下化/廃止計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 19:00 UTC 版)
「阪堺電気軌道上町線」の記事における「未完に終わった天王寺駅前 - 松虫間の地下化/廃止計画」の解説
戦後、高度成長期を迎え、モータリーゼーションの波が押し寄せ、交通渋滞が激しくなったあべの筋を走る南海電気鉄道上町線の併用軌道区間である天王寺駅前 - 松虫間を地下化する計画があった。このことは、南海電鉄の社内報『南海'71』にも将来計画として書かれているが、結局、実現には至らなかった。 また、1971年(昭和46年)12月8日の「都市交通審議会答申13号」において、当時、天王寺駅までの路線であった大阪市営地下鉄谷町線を人口増加が著しい平野方面へ延伸するよう答申された際、当初、南海上町線の天王寺駅前 - 松虫間を廃止して、この区間を地下鉄に置き換え、地下鉄谷町線を天王寺から播磨町まであべの筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)を南下させ、播磨町から南港通(大阪府道5号大阪港八尾線)を東へ進み、平野方面へ延伸する路線案が提示されたが、帝塚山・北畠の沿線住民から南海上町線の天王寺駅前 - 松虫間を廃止することに反対の声が上がったため、この計画案は白紙撤回となり、答申には盛り込まれず、当時、南海平野線の飛田 - 西平野間と並行する形で阪神高速道路公団が計画していた松原線の建設計画と一体化させる形で、天王寺から阿倍野まで「あべの筋」を南下して、阿倍野から阪神高速松原線(南海平野線が走っていた軌道用地は、南海電気鉄道が10年間の賃貸借契約を付帯条件に阪神高速道路公団に売却)の地下を通る現在の路線に変更された。 なお、南海電気鉄道の軌道部門が分社化され、阪堺電気軌道が発足する以前から平成末期まで長年空き地状態となっていた松虫停留場の北西にあるアパートが建っている土地は、上町線の地下化の際、地下に移る松虫停留場の入口を建設するために確保されている用地ともいわれている。また、天王寺駅前の地下通路は地下線化の先行工事として造られた。
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