木造俊乗上人坐像(俊乗堂安置)
主名称: | 木造俊乗上人坐像(俊乗堂安置) |
指定番号: | 8 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1951.06.09(昭和26.06.09) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造俊乗上人坐像〈/(開山堂安置)〉
主名称: | 木造俊乗上人坐像〈/(開山堂安置)〉 |
指定番号: | 391 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1912.02.08(明治45.02.08) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造俊乗上人坐像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:27 UTC 版)
国宝。鎌倉時代。像高82.5センチ。大仏殿東方にある俊乗堂に安置される像。像名は「重源上人坐像」とも称する。平素は非公開で、毎年7月5日の俊乗忌と12月16日の良弁忌にのみ開扉される。鎌倉時代の東大寺大仏復興の大勧進職(総責任者)を務めた俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)の肖像彫刻である。重源は建永元年(1206年)、86歳で没しているが、本像はその像容からみて、重源最晩年の姿を写したものとみられる。本像の表現には理想化や形式化がみられず、老僧の容貌をありのままに写し取っている。重源は背中を丸め、首を前方に突き出したポーズで坐し、節くれ立った両手で数珠をまさぐる姿に表される。左右の目は見開きの大きさが異なっており、落ち窪んだ眼窩、眼の下のたるんだ皮膚、筋張った首などを美化せずに写実的に表す。重源は年老いて肉体は衰えているが、眼光は鋭く、口を「へ」の字に結んだ表情には大仏復興という難事業を成し遂げた人物の強靭な意志が感じられる。像はヒノキ材の寄木造で、頭部は前後の2材、体部は正中線で矧ぐ左右2材から彫成して内刳を行い、体部材に首枘を設けて頭部材を挿入している。さらに両体側、丸めた背中の部分、両袖口、両手先などに別材を矧ぐ。眼は玉眼を用いず彫眼とする。像表面は黒漆地の上に白土の下地を施し、肉身部は赤褐色、着衣は藍鼠色で彩色する。首枘を長めに作って、前方に突き出した首の出を調整している。両手は小指に細かい矧ぎ木をして、数珠をまさぐる手の形を調整している。像の作者は不明であり、運慶作とする説(水野敬三郎など)、快慶作とする説(小林剛など)がある。重源との関係の深さという点では、作者としてふさわしいのは快慶だが、本像の作風は快慶のそれとは異なっている。運慶作とする説についても、それを証明する史料はない。
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