木造傅大士及二童子像とは? わかりやすく解説

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木造傅大士及二童子像(北野経王堂輪蔵旧安置)

主名称: 木造傅大士及二童子像(北野経王輪蔵安置
指定番号 3521
枝番 0
指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 童子像内に院隆、右童子像内に応永二十年三月、院隆の銘がある
員数 3躯
時代区分 室町
年代 応永二十五年
検索年代 1418
解説文:  傅大士傅翕ふきゅう】)を中に童子(普建【ふけん】)と右童子(普成)を従える三体である。明徳二年(一三九一)の山名氏清【うじきよ】の乱後山名氏追善のため足利義満北野万部経会を始め以後恒例となったのを承け応永八年一四〇一)に創建された経王堂に、同十九書写一切経とともに安置された。平成十三十四年度の修理時に二童子内の造像銘記が見出され一切経書写から六年後の応永二十五年(一四一八)に仏師院隆【いんりゅう】によって造立されたことが確認された。
 傅大士中国南朝の僧で、輪蔵の制を創設したことにより輪蔵正面にこの像と二童子像が置かれるようになったという。わが国でも中・近世その遺例がしばしば見られるが、本像はその最も古い作例である。
 二童子像の銘に記される院隆は、他に愛知瑞泉寺無因宗因像(永享三年一四三一〉)や鹿児島感応寺千手観音像(文安二年〈一四四五〉)の造立携わったことの知られる院派仏師である。傅大士像の箱形の木寄せだけでなく、三体共通する角を感じさせる面相部や大きくうねる衣文などは室町時代のこの派の特徴をよく示しているので、二童子像の変則的な寄せ着衣部の盛り上げ彩色などが異質だが、三体同作とすることができる。
 本件書跡附指定だったが、現存最古傅大士二童子像であるだけでなく、最近発見され銘記により室町時代院派仏師基準作例となったので、彫刻単独指定とする。



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