木造一山一寧坐像とは? わかりやすく解説

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木造一山一寧坐像

主名称: 木造一山一寧坐像
指定番号 3403
枝番 00
指定年月日 1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  南禅院亀山天皇坐像重文)を祀る御霊殿享堂【きようどう】)の左脇上に安置される南禅寺第三世、一山一寧一山国師一二四七~一三一七)の像である。一山中国南宋淳祐七年現在の浙江省生まれ正安元年一二九九来日後建長寺円覚寺浄智寺鎌倉五山の諸寺に歴住した正和二年(一三一三南禅寺迎えられ文保元年十月二十四日当寺寂し三日後亀山法皇廟所の傍に一塔(旧大庵、現南禅院境内)をたてて葬むられた。
 像は、材、寄木造玉眼嵌入肉身彩色衣部古色仕上げとする。その製作は、一山没後間もない頃と考えられ、額に深く走る皺、眼の下のたるみ、筋張った喉元、あるいはやや猫背気味に肩を落した上躰など、その晩年の姿が克明に写されている。著衣の衣褶を比較簡潔にあらわしながら、袈装を吊す絛【とう】の複雑な組合せなど、細部扱い装飾的にあらわすことも鎌倉時代末の一つ傾向を示すものであろうまた、頭・躰幹部それぞれ前後に矧合わせた二材からつくり、胸前肉身を含む頭部を、襟際で躰部に差込む構造も、この頃の作として矛盾がない。
 本像の伝来については、像内に納入されている舎利包紙略記記述等から、『蔭涼軒日録』に記された大庵(一山塔所)像にあたることが推定される。また大廃絶後は南禅寺一山派の拠点雲門庵に伝わり明治二十年雲門廃絶後は、一山墓所管理する南禅院に移安されたことも確認される
 一山我が国禅宗史、文化史きわめて名高い高僧であり、その墨蹟や彼が著賛した頂相の類は少なくないが、国師頂相遺例はほとんど知られていない。本像は、一山肖像としては中世以前唯一の遺品考えられ、また鎌倉末期禅僧肖像彫刻佳作としても注目される。なお、現在、左手左袖端部、像底直板、彩色持物竹篦)、椅子などが後補のものにかわっている



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