木造三浦義明坐像とは? わかりやすく解説

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木造三浦義明坐像(御霊明神社安置)

主名称: 木造三浦義明坐像(御霊明神社安置
指定番号 3434
枝番 00
指定年月日 1993.01.20(平成5.01.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  三浦義明一〇九二-一一八〇)は三浦半島勢力張り治承四年(一一八〇)の源頼朝平氏追討挙兵呼応本拠たる衣笠城平氏軍勢迎えて壮絶な戦死遂げた建久五年(一一九四)、頼朝は義明追福のために一堂建立命じた『吾妻鏡』)が、衣笠城の東に位置する本寺その後身に当たるとされている。境内には鎮守御霊明神社があり、本像はその主神として伝えられている。
 材の寄木造、頭体幹部は前後二材よりなり、両肩外側部に各竪一材を矧【はぎ】付け、像底を残して内刳【うちぐ】り、袍【ほう】の襟内側沿って割首【わりくび】とする。これに両足部横一材、両袖口、体側張り出す両袖(各三材)、腰背面下襲したがさね】、両手等を別材とする。表面は現在、後補のサビ下地覆われ、冠、玉眼両足部地付廻り材の下に当てる薄板持物台座を後補とする。
 『吾妻鏡』によれば没時八九であったというが、本像はその皺深く髯【あごひげ】を長く垂らした面貌から晩年の姿を表したものと知られる幅広両肩いからせ、袍の袖を左右に広げた正面観には威風があり、一徹な武将の姿を彷彿とさせるが、衣文簡潔な扱いには神像彫刻思わせるところもある。猫背背中盛り上がった体形老いた像主の姿を表したものとみられるが、鎌倉後期以降中国宋からの舶載彫刻影響考えるべきであろう両足造形がやや量感欠いたものとなっている点や構造技法上の特色考え併せると、製作年代鎌倉末頃とみるのが妥当とみられる没後長い年月経て一種神格化された、当代武人彫像異色ある作例といえる



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