朝倉孝景 (7代当主)とは? わかりやすく解説

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朝倉孝景 (7代当主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 14:23 UTC 版)

朝倉 孝景(あさくら たかかげ)は、室町時代中期の武将朝倉氏の7代目当主。当初は祖父も名乗った教景(のりかげ)を名乗り、次いで敏景(としかげ)→教景孝景の順で改名している。よって同名の曾孫と区別するために代表的な名乗りの1つである「朝倉敏景」(あさくら としかげ)と表記する事がある。また、法名から「英林孝景(えいりんたかかげ)」と呼ばれることも多い。以下、本項においては原則「孝景」で統一する。朝倉義景の高祖父。朝倉宗滴(教景)の父。なお、孝景が守護に任命されたとする説が存在するが、実際には越前守護代である[3]


注釈

  1. ^ 守護職は家に付随した役職であるため、孝景一代限りの守護職は考えられない。

出典

  1. ^ 朝倉孝景』 - コトバンク
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 23頁。
  3. ^ a b 今岡典和「戦国期の守護権をめぐって:越前朝倉氏の場合」『関西福祉大学社会福祉学部研究紀要』第12号、関西福祉大学社会福祉学部研究会、2009年3月、55-60頁、CRID 1050282812568651520ISSN 1883566XNAID 40016560024 
  4. ^ a b 松原 2008, pp. 7.
  5. ^ 福井県 1994, pp. 599–606.
  6. ^ 松原 2006, pp. 41–47.
  7. ^ 水藤 1981, pp. 5–6.
  8. ^ a b 松原 2008, pp. 9.
  9. ^ 福井県 1994, pp. 609–618.
  10. ^ 松原 2006, pp. 48–53.
  11. ^ 水藤 1981, pp. 9–11.
  12. ^ 福井県 1994, pp. 618–630.
  13. ^ 松原 2006, pp. 53–73.
  14. ^ 水藤 1981, pp. 11–24.
  15. ^ 清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』(新潮社、2021年6月発行)P200~203
  16. ^ a b c d 朝倉 & 三浦 1996, p. 23.
  17. ^ 水藤 1981, p. 19.
  18. ^ a b 水藤 1981, p. 10.


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