有楽町線の飯田橋検車区
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「飯田橋検車区」の記事における「有楽町線の飯田橋検車区」の解説
1974年(昭和49年)9月1日 - 有楽町線飯田橋検車区準備事務所発足。 10月24日 - 有楽町線の開業に先がけて飯田橋検車区が発足。 1987年(昭和62年)8月12日 - 和光市開業を控え、和光検車区が正式に発足し、飯田橋検車区は廃止となる。 1996年(平成8年)3月26日 - 南北線開業により、連絡線の機能を併せ持つこととなる。 配置車両・保守車両:7000系 開業当初の有楽町線(池袋 - 銀座一丁目間)は全線が地下区間で、地上に車両基地を確保することができなかった。このため、飯田橋 - 市ケ谷間の外堀内に地下構造の留置線を設けて、検車区とした。これは外堀の牛込濠、新見附濠の幅が広いことや、位置的に池袋 - 銀座一丁目間のほぼ中間となることから選ばれた。検車区の建設にあたっては、濠内に工事用桟橋の架設、築堤、仮締切り鋼矢板打を施工し、掘削用支保工は土留アンカーを施工して、大規模な開削工事を行った。 また、有楽町線桜田門 - 千代田線霞ケ関間に連絡線(8・9号連絡側線)を設け、千代田線綾瀬車両基地を使用して新造車両の受け取り・整備、月検査および一部の列車検査と清掃作業を行っていた。この検車区は和光検車区発足まで、あくまで一時的な検査場として使用することとしていた。主な業務は車両留置、列車検査、営業線対応(故障修繕)、車両洗浄などであった。有楽町線飯田橋 - 市ケ谷間のA線・B線間のほぼ全長にわたって存在し、途中までは2線であるが終端部(飯田橋駅寄り)は合流して1線となっている。 また、南北線からの連絡線は有楽町線B線を横断する形で当留置線に繋がる。交差部はシングルスリップとなっており、有楽町線B線から留置線には進入可能だが、連絡線から有楽町線B線への進入は不可能である。 この検車区は5両編成が6本が留置可能(開業当初の有楽町線は5両編成)で、市ケ谷駅寄りの留置線部には5両編成4本(10両編成2本)が留置でき、合流した1線(検査施設部・5両編成2本または10両編成1本長)の中央には車両洗浄機を備えており、さらに奥には列車検査線(修繕線)のプールピット(5両編成長)を備えている。飯田橋駅構内の地下2階には、検車区事務室、会議室、休憩室などの施設を仮設で備えていた。このほか、同駅の地下2階には有楽町線運転士が所属する飯田橋電車区、車掌が所属する飯田橋車掌区が仮設で設けられていたが、営団成増延伸開業時に、小竹向原駅(小竹電車区、小竹車掌区)に移転した。 和光検車区発足まで、有楽町線用の7000系は全て当検車区所属となっていた。飯田橋検車区および本線留置だけでは収容力が不足することから、前述の8・9号連絡側線を使用して、有楽町線から綾瀬検車区まで入出庫回送列車が運転されていた。回送列車の本数を減らすため、5両編成時代には2本を連結した10両編成として運転していた。朝方、綾瀬検車区から飯田橋検車区まで2本(5両編成を2本連結した10両編成)の出庫回送列車があり、朝ラッシュ終了後に10両編成1本と5両編成1本が、夜間は5両編成1本の綾瀬検車区入庫回送列車が運転されていた。営団成増延伸開業後は、10両編成化されたことから、分割併合は廃止されているが、綾瀬検車区への入出庫回送は継続された。
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