最初の報道
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旅順での事件を目撃した外国人ジャーナリストたちは、記事を打電するために日本に引き揚げていた。彼らは第二軍に従軍し取材していた記者達で、『タイムズ』の特派員トーマス・コーウェン(トマス・カウワン、Thomas Cowan)、『ニューヨーク・ワールド』のクリールマン(James Creelman)、『スタンダード』(The Standard)及び『ブラック・アンド・ホワイト』(Black & White)のフレデリック・ヴィリアース(ウィリアース、Frederic Villiers)の3人である。11月26日以降、旅順占領が報じられるようになる。タイムズはイギリス極東艦隊のフリーマントル中将(Edmund Fremantle)に同行して旅順に上陸した将校の目撃談や、旅順から戻ったコーウェン記者の記事を発表し、事件が海外に知られることとなった。しかし注目を集めるようになったのは12月12日の新聞『ニューヨーク・ワールド』のクリールマンの記事によってであった。「日本軍は11月21日に旅順入りし、冷酷にほとんど全ての住民を虐殺した。無防備で非武装の住人達が自らの家で殺され、その体は言い表すことばもないぐらいに切り刻まれていた」と扇情的な報道がされている。その後も彼は旅順占領後の報道を続けた。彼の扇情的な報道にその他の新聞・雑誌も追随し、日本政府は苦境に立たされることになる。また、ヴィリアースは『ノース・アメリカン・レヴュー』(North American Review)1895年3月号における「旅順の真実」の記事で、「三日間の虐殺によって僅か36人の中国人だけが生き残った」と書いている。
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最初の報道
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「明仁から徳仁への皇位継承」の記事における「最初の報道」の解説
ウィキニュースに関連記事があります。天皇陛下、「生前退位」の意向を示される - 宮内庁関係者 (2019年7月13日) 2016年7月13日18時59分、日本放送協会(NHK)は、宮内庁関係者の話として、テロップで天皇が譲位の意向を示したことを伝え、これが初報となった。その日の19時から放送されたNHKニュース7で、字幕を「天皇陛下『生前退位』の意向示される」と表示して報道が行われると、他の報道機関も追って報道し、翌7月14日朝の新聞はトップで譲位の意向を報じた。ところが、朝日新聞は7月13日夜、宮内庁次長の山本信一郎は「報道されたような事実は一切ない」と、全面的に否定したとしている。一方、同日、毎日新聞は「陛下(明仁)自らがお気持ちを表明する方向で調整」していると報じるなど、報道機関によって報道の方向性は分かれた。また、7月15日には内閣官房長官の菅義偉も記者会見で、宮内庁の関係者の発言通りだとして、「政府としてコメントは控えたい」と述べた。翌7月16日には、明仁自身は早く譲位することを希望していないとも報じられた。
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