最下位賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:12 UTC 版)
「非公式サッカー世界王者」の記事における「最下位賞」の解説
1873年3月8日の試合に勝ったイングランドから勝者の系譜が続いているならば、同様にスコットランドに始まる敗者の系譜も続いているはずであり、そのチームはいわば現時点の世界最弱ではないか。このような意見がUFWCフォーラム(掲示板)で提案され、王者の決定と同じ手法で世界最弱の歴史が調査された。この座をUFWCでは「Wooden Spoon」(木の匙‐「最下位賞」の意味)と名づけている。 王者同様、当初は敗者もホームネイションズの中で、主にウェールズとアイルランドの間で競われた。これがヨーロッパ大陸に渡ったのは、1926年にベルギーがイングランドに3-5で敗れたことに始まる。1940年まで、この位置はフィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニアの4カ国の間で行き来された。しかし1940年8月5日に当時の最弱国ラトビアがソビエト連邦に併合されラトビア代表が消滅したために世界最弱の系譜は一旦途絶えた。そこで24日後に行われた別の国際大会で負けたフィンランドに世界最弱の座を引き継ぐこととされた。フィンランドはその後9年間24試合に渡って勝利を手にできなかったが、やっとデンマークに勝ってこの不名誉な称号を返上した。この座はすぐにノルウェーに移り、スカンディナビア三国とフィンランドの間を最下位賞の称号は行き来した。 1953年、スウェーデンに2-4で破れたフランスがこの位置についたが、すぐにアイルランドを経てルクセンブルクへ渡り、同国に7年間居座った。しかし1962 FIFAワールドカップ・予選で勝利してポルトガルに押し付けた。ポルトガルはブルガリアに勝って逃れたが、後に同国に敗れ戻って来てしまった。そして1963年4月、最下位賞にあったポルトガルは前年のワールドカップ優勝国ブラジルとの対戦が組まれた。ここに非公式世界最弱と公式な世界最強の2国が激突、結果はポルトガルが1-0で勝利し、ブラジルは不名誉な地位を受け継いでしまった。しかし3日後にはベルギーに5-1で勝ち、ブラジルはこれをアメリカ州から追い出した。その後、フランス、ブルガリア、ギリシャを経由し、1966年から長い期間フィンランドがその座を占めながらも一度だけスペインに勝利したこともあった。1972年以降はアルバニアやノルウェー、北アイルランドを経て1975年にはスウェーデンが最下位賞対象国となった。 1975年5月、スウェーデンはアルジェリアに4-0で勝利し、最弱の座はアフリカに渡った。しかし1976年1月にサウジアラビアを3-1で負かせ、以後最下位賞の称号はアジアの国々でやり取りされている。 1970年代にアラブ首長国連邦、バーレーン、オマーンと中東を、1980年代にはバングラデシュ、マレーシア、ブルネイ、シンガポールと東南アジアを巡り、1988年に再度オマーンが敗れると1993年にマレーシアに勝つまでそこに留まった。数ヵ月後にマレーシアはマカオを破り、3年後の1996年にマカオはフィリピンを破った。以後21戦負け続けたフィリピンは2000年のAFCアジアカップ2000予選にて勝ちを手にし、世界最弱国はグアムとなった。何度もの試合を10点以上の失点で涙を呑んだグアムも、2009年の東アジアサッカー選手権2010予選でついにモンゴルから勝ちを掴み、不名誉な座を脱した。以後、モンゴルとマカオの間で争われた。2011年2月16日マカオはAFCチャレンジカップ2012予備予選でカンボジアに勝利し、木の匙はカンボジアに渡った。3年後の2014年にチャイニーズタイペイに勝ったことで13戦保持し続けた最下位賞を逃れ、そのチャイニーズタイペイも半年後の2018 FIFAワールドカップ・アジア1次予選でブルネイに勝利を収めている。
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