時代描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:08 UTC 版)
高畑勲のリアリズム志向により、1945年(昭和20年)当時の風景が忠実に再現された。作画に参加した庵野秀明が、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面の軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を出来るだけ史実に則って描写することを求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いたという逸話が残されている。もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わった。 劇中の空襲の描写についてもリアリズム志向は徹底されており、高畑は自身が1945年6月29日の岡山大空襲を経験していたので、そのときの記憶が劇中の空襲の描写に活かされている。また、神戸大空襲で神戸を焼き払ったアメリカ軍爆撃機B-29についても、空襲のシーンで登場するテールマーク「Z」のB-29はサイパン島に配置されていた第500爆撃団第883飛行隊の所属機であるが、機体番号が確認できる6機は、「41」機(愛称マイプライドアンドジョイ)、「42」機(愛称スパイン・シュー)、「44」機(愛称なし)、「47」機(愛称なし)、「50」機(愛称ファンシーディティール)、「51」機(愛称テイルウィンド)で実在の機体であった。高畑はB-29がどの方向から神戸に侵入してきたかなどを徹底的に調査してこのシーンを描かせており、実在機を描いたのにも高畑のリアリズムへの強いこだわりを感じられるが、実際の史実ではこの日出撃していたのは「41」(マイプライドアンドジョイ)機、「42」(スパイン・シュー)機、「50」(ファンシーディテール)機、「51」(テイルウインド)機であり、「44」機は1944年11月29日の東京市街地への夜間空襲で、単機で東京市街地に突入したが帰路に行方不明となって、機長ハロルド・M・ハンセン少佐以下11名が戦死して以降は欠番となっており、「47」機は出撃していない。次の爆撃任務となった2日後の6月7日の大阪大空襲では「47」機も出撃している。ちなみに6月5日の神戸大空襲では530機のB-29が空襲に参加したが、日本陸軍航空隊飛行第111戦隊の五式戦闘機13機が迎撃してB-29を5機撃墜6機撃破を報告している。アメリカ軍の記録でも11機のB-29を損失し、うち3機が日本軍戦闘機により撃墜、3機が日本軍高射砲で撃墜、3機が戦闘機と高射砲協同で撃墜、1機が損傷が大きく硫黄島で墜落、1機が原因不明の損失と記録されており、飛行第111戦隊の報告と符合する。この日がB-29が一回の出撃で10機以上の損失を被った最後の日となった。 登場人物の会話は関西出身の俳優や声優を起用したネイティヴな関西弁である。「キイキ悪い(体調が悪い、病気の意)」、「(二本松の)ねき(脇、近くという意味)」などといった現在ではほとんど使われることがなくなった古い表現も、原作小説のままに使用されている。ただし、いわゆる神戸弁ではなく、大阪弁に近い言い回しに統一されている点が異なる。
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