明治の四大覇者とは? わかりやすく解説

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明治の四大覇者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 07:37 UTC 版)

伊東胡蝶園」の記事における「明治の四大覇者」の解説

1900年明治33年)、岐阜県令・長谷部恕連次男であり、フランス・パリから帰朝した化学者で、東京市京橋区南鍋町2丁目3番地現在の東京都中央区銀座6丁目)で出版社十一堂」を営んでいた長谷部仲彦が、日本初の純無鉛で健康を害さず、使用耐えうる白粉発明販売した同年5月10日皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚の際に献上した1904年明治37年)、長谷部が、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト学んだ近代医学の父」こと伊東玄朴の四男・伊東栄初代1847年1911年)と組み東京市芝区現在の東京都港区)で「胡蝶園」を創業大正天皇夫妻献上したことから「御料御園白粉」と命名し製造し1906年明治39年)からのちに「ミツワ石鹸」で知られる三輪善兵衛丸見屋販売した。紙箱は四谷区現在の新宿区四谷)の「尚山堂」(現在の東京紙器株式会社)が製造納品した。 「胡蝶」とは、胡の国の蝶のことで、アゲハチョウをさす。のちに商標となり社名ともなったパピリオ」は、アゲハチョウ学名Papilioに由来する化粧品業界で、「白粉御園」は、「歯磨ライオン」(「獅子ライオン歯磨」、小林富次郎商店)、「クリームレート」(平尾賛平商店1954年倒産)、「クラブの洗粉」(中山太陽堂)とならぶ「明治の四大覇者」と呼ばれた。 「御園白粉明治37年1904)に、伊東胡蝶園から発売され無鉛白粉明治の末頃までは、役者芸者中心に使用感仕上がりのよさから、鉛中毒もたらす鉛白粉が使われていた。豊とよほぎのまい寿舞(二人巫女雄蝶雌蝶それぞれ扮して舞う)が描かれ、「御料御園白粉 東京 胡蝶謹製 発賣元丸見屋商店」と記され広告書き写されている。 — 清水晴風著『東京名物百人一首明治40年8月御園白粉」より抜粋

※この「明治の四大覇者」の解説は、「伊東胡蝶園」の解説の一部です。
「明治の四大覇者」を含む「伊東胡蝶園」の記事については、「伊東胡蝶園」の概要を参照ください。

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