明治の大合併前後の町村名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/26 08:22 UTC 版)
「葛飾区の町名」の記事における「明治の大合併前後の町村名」の解説
現・葛飾区の区域は、明治22年(1889年)の、市制・町村制施行の時点では、南葛飾郡の新宿町、奥戸村、立石村(後の本田村)、南綾瀬村、亀青村、金町村、水元村の1町6村と、平井村、大木村の各一部に属していた。これら明治22年の町村合併(いわゆる明治の大合併)によって成立した町村と、合併以前の旧町村との対応関係は次のとおりである。 新宿町 - 新宿町が単独で町制を継続 奥戸村 - 上小松村、下小松村、奥戸村、奥戸新田、曲金村、細田村、鎌倉新田の7村と新宿町飛地、上一色村(現・江戸川区)飛地が合併。 立石村 - 渋江村、四ツ木村、篠原村、宝木塚村、梅田村、川端村、原村、淡之須村、立石村、中原村の10村と、青戸村、堀切村、若宮村(村の大部分は現・墨田区)の各一部が合併。ただし、渋江村・四ツ木村・篠原村・川端村の飛地を除く。 南綾瀬村 - 上千葉村、下千葉村、小菅村、小谷野村、堀切村(飛地を除く)、柳原村の6村と、砂原村飛地、亀有村飛地、隅田村(現・墨田区)飛地が合併。 亀青村 - 亀有村(飛地を除く)、青戸村、砂原村(飛地を除く)の3村と上千葉村飛地が合併。 金町村 - 金町村、柴又村の2村が合併。 水元村 - 上小合村、下小合村、小合新田、猿ヶ又村、飯塚村の5村が合併。 平井村 - 上平井村、中平井村、下平井村が合併して成立したが、荒川放水路の開削に伴い、大正3年(1914年)に廃村。上平井・中平井・下平井の3大字のうち、上平井は奥戸村に、下平井は小松川町(現・江戸川区)にそれぞれ編入、中平井は奥戸村と小松川町に分割編入された。 大木村 - 木ノ下村(飛地を除く)、上木下川村(飛地を除く)、下木下川村の3村と、大畑村の一部、須崎村(現墨田区)・請地村(同前)・善左衛門村(同前)・寺島村(同前)・渋江村・川端村の飛地が合併して成立。荒川放水路の開削に伴い、大正3年(1914年)に廃村。木ノ下・上木下川・下木下川の3大字は本田村と吾嬬町(現・墨田区)に分割編入、大字大畑は吾嬬町に編入された。 上記のほか、大正3年(1914年)には、隅田町(現墨田区)の大字隅田と大字善左衛門の各一部が本田村に編入されている(昭和7年、本田若宮町となる)。 明治の大合併以前の旧町村名は、原則として新町村の大字名、さらには葛飾区の町名に継承されている(例:上小松村 → 奥戸村大字上小松 → 奥戸町大字上小松 → 葛飾区上小松町)。ただし、若干例外もあり、曲金村の名称は奥戸村の大字としては継承されたが、葛飾区成立時に高砂町と改称された。奥戸村に編入された新宿町の飛地には諏訪野という新しい大字名が付された。
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