明治の大火と蔵造りの街並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:18 UTC 版)
「川越市の歴史」の記事における「明治の大火と蔵造りの街並み」の解説
明治時代には大火も相次ぎ、1869年1月には家中屋敷482軒、町家420軒、うち社寺8軒を焼く火事が発生したほか、1872年の高沢火事、1888年の石原火事などが相次いだが、中でも大きかったのが1893年の川越大火である。 この大火で南町・鍛治町・志義町・連雀町などを焼いたほか、第八十五銀行・川越電信局・時の鐘・連馨寺などの建物を含む、当時の川越町の3分の1以上の戸数を焼失した。しかしその中でも近江屋商店・丹文・大塚屋・山吉などの店蔵が焼失を免れ、特に壁の厚さが20cm余りに補強され、しっかりとした造りになっていた近江屋商店は店の柱一本を焦がしたのみであった。そのことから、川越ではこぞって蔵造り建築が造られた。一方で大火に見舞われなかった喜多町ではトタン屋根の家がしばらく残ったが、大正期には町中の建物の屋根の不燃化が要求されるようになる。
※この「明治の大火と蔵造りの街並み」の解説は、「川越市の歴史」の解説の一部です。
「明治の大火と蔵造りの街並み」を含む「川越市の歴史」の記事については、「川越市の歴史」の概要を参照ください。
- 明治の大火と蔵造りの街並みのページへのリンク