明治の女性実業家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:15 UTC 版)
1884年(明治17年)頃から炭鉱事業に参画。筑豊の潤野炭鉱(福岡県飯塚市、後の製鐵所二瀬炭鉱)を買収、開発に着手。単身炭鉱に乗り込み、護身用のピストルを懐に坑夫らと起き伏しを共にしたと伝えられている。男もためらうような冒険的事業に敢えて乗り出したので、しばしば狂人扱いされたという。 1888年(明治21年)に加島銀行を設立。続いて1902年(明治35年)に大同生命創業に参画するなど、加島屋は近代的な金融企業として大阪の有力な財閥となる。これらの活躍により、広岡浅子は鈴木よね、峰島喜代子(尾張屋銀行、峰島合資会社の経営者)らと並び明治の代表的な女性実業家として名を馳せる。
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