明治の再興と伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:18 UTC 版)
明治維新により幕藩体制が崩れ武士階級が衰退したため、石川県の能楽は一時廃れたが、佐野吉之助によって再興された。佐野吉之助は金沢で履物販売業を営む実業家であったが、加賀藩の能役者に付いて加賀宝生の技芸の継承に努めるとともに、私財を投じて能装束や能面などを収集し、明治33年(1900年)に佐野能楽堂を建設した。明治34年(1901年)には金沢能楽会が設立され、毎月定例能が開催されるようになった。佐野吉之助の子である2代目佐野吉之助も、友于の子宝生九郎知栄の指導を受け宝生流シテ方を務めるとともに、昭和7年(1932年)金沢市広坂通に金沢能楽堂を建設した。 金沢は戦時中災禍を免れたことから、金沢能楽会による定例能は一時中断の後昭和20年(1945年)11月に再開された。大野湊神社の神事能も昭和22年(1947年)5月に復活している。加賀宝生は昭和25年(1950年)に金沢市の無形文化財に指定された。昭和46年(1971年)には金沢能楽堂の能舞台が石川県に寄贈され、これを移築し、翌昭和47年(1972年)金沢市石引に石川県立能楽文化会館(現・石川県立能楽堂)が建設された。 金沢市では昭和24年(1949年)から毎年市内の中学生全員が能楽を鑑賞する中学生能楽教室が行われており、2002年(平成14年)からは市内の小中学生を対象に加賀宝生を学ぶ加賀宝生子ども塾が開かれている。平成18年(2006年)には金沢能楽堂ゆかりの地に金沢能楽美術館が建てられた。金沢能楽美術館は佐野家が収集した能装束、能面など加賀宝生の貴重な美術品を収集・展示するとともに、加賀宝生子ども塾の活動拠点となっている。
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