明治の兵学とは? わかりやすく解説

明治の兵学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:03 UTC 版)

兵学」の記事における「明治の兵学」の解説

明治期日本ではそれまで日本兵学実用性がなかったために、西洋軍事研究人文学社会科学などを除いた実学的な内容限定して集中的に翻訳研究実用化が行われた。 各兵種編制教練戦法規定する操練書については、特にオランダフランスドイツ歩兵操典幕末より研究し一時的に採用されており、はじめて実戦用いられたのは西南戦争時の1869年フランス歩兵操典であったその後フランスとドイツ教官来日して指導していたが、最終的にドイツ式歩兵操典採用し明治24年版『歩兵操典』とし、銃器発射機構の技術的発展合わせてこれを小改訂しながら用いていた。 この時、「師団「連隊」「小隊」などの用語は明治5年の『隊前比較表』で統一化され、明治7年から14年参謀本部編纂した『五国対兵語字書』によって「戦略」と「戦術」が用語として確立された。またドイツ陸軍から教官として来日したメッケルによって「状況判断」「決心」「戦闘序列」「兵站」などの指揮統率基本的な用語確定していった。 野外での行軍宿営偵察警戒補給衛生給養などを規定する野戦要務書についてはオランダ版が幕末には採用されていたが、最終的にドイツ版採用され明治24年に『野外要務令』となり、明治30年にも小改訂され用いられている。独自のものではない外国翻訳教範対する不満は多少あったが、日清戦争および日露戦争においてその実用性が確認された。 また日露戦争後国防方針用兵綱領制定、また明治42年歩兵操典において初め綱領記載し内容劣勢優勢な兵力打ち勝つことを目的として攻撃精神基盤とする白兵主義採用され日本独自原則戦闘教義確定された。この戦闘教義については後に火力主体論争が行われ、火力重要性近接戦闘必要性争われた。

※この「明治の兵学」の解説は、「兵学」の解説の一部です。
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