明代の葉子戯とは? わかりやすく解説

明代の葉子戯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 15:56 UTC 版)

馬弔」の記事における「明代の葉子戯」の解説

明の「葉子戯」は、意味が宋のものとは異なっている。明の成化年間の陸容 (1466-1494)『菽園雑記』の記すところによると、当時昆山一種カードゲーム流行しており、カード総数38であって一銭から九銭・一百から九百一万貫から九貫・二十貫から九十貫・百万貫・千万貫・万万貫からなっていた。「糸巻き」の様に見え図柄は、「銭の穴に糸を通した束」で、「サイコロの目」の様に見える図は「銭を正面から見た図」である。一万貫以上のカードには『水滸伝』中の二十人の絵が描かれており万万貫は宋江千万貫は武松となっていた(ただし「混江竜李進」と「混江竜海」が別人として存在するなど、現行の水滸伝とは名前が多少異なっている)。当時の人はこの種のカードを「葉子」と呼び葉子使ったカードゲーム自身のことは「葉子戯」と呼んでいた。今では水滸牌と呼ぶことが多い。 後世文献記載されている馬弔は、この葉子よりも2枚多い。清末考証家の徐珂宋代にすでに馬弔というゲームがあったとしているが、実際には、明・清になってはじめて馬弔に関する文献見られる。かつ現存最古馬弔に関する文献は、明の万暦年間に潘之恒が著した葉子譜』と『続葉子譜』で、陸容の『菽園雑記』より一世紀ちかくも新しい。したがって陸容の記した葉子馬弔カード原型なのか、馬弔同時代にあった変種であるのか、はっきりしない。 「葉子」は明末になると2つの意味を持つようになった。ひとつは後世にいう「馬弔」であり、もうひとつ馬弔似た「酒牌」である。 後世馬弔サイズは今の中国通常の紙牌と同様であったが、『葉子譜』に記すところによると、葉子は「古貝葉之遺製」であり、したがって当初はおそらく定規のようなサイズで、今の紙牌より長く、かつ名前のとおり材料だったのであろう。しかし天啓年間の黎遂球『運掌経』によると「凡牌之用、有数適焉、大可一寸高倍出之、厚僅盈指、紙軽小、便易挟以偕遊」とあり、明末馬弔はすでに紙製であったようだ。明代馬弔全部40枚からなり、「十字万字索子文銭」の4つの門(スート)があった。ここで「十字」は十万貫・「索子」は百文にあたる。スートごとに枚数が事なっており、「十字文銭」門は11、「万字索子」門は9からなっていた。 明の馬弔スート → 高 十字二十 三十 四十 五十 六十 七十 八十 九十 百万 千万万万万字一万万 三 四万 五万万 八万 尊索子門 一索 二索 三索 四索 五索 六索 七索 八索 尊九索 文銭門 九銭 八銭 七銭 六銭 五銭 四銭 三銭 二銭 一銭 半文銭 尊空没文 各門の最高のカードには「尊」の字が冠せてある。文銭には穴があいているため、その意をとって、一文の銭もない「空没文」を尊とし、かつ文銭門のランク順序は他の三門とは逆になっていて、後世紙牌とは異なっている。千万は別名を千兵といい、後世には老千とも呼んだ。空没文は別名を齾客といい、後世には空湯・空湯瓶・空堂・空文とも呼んだ半文銭は別名を花といい、後世には半花・半齾とも呼んだ。陸容の述べている葉子同様に馬弔の十と2つの門にも『水滸伝』の登場人物の絵が印刷されていた。しかし、陸容のいう「百」字門は、馬弔では「索子」と呼ばれ馬弔の空没文と半文銭の2枚については陸容は言及していない。 陸容と潘之恒では水滸伝人物名にも多少違いがある。潘之恒のものは現行の水滸伝』とよく一致し水滸伝伝承変化反映しているものであろうカード陸容潘之恒八十 混江竜李進 美髯公朱仝 六十 鉄鞭呼延双鞭呼延灼 四十関索王雄 黒旋風李逵 二十 一丈張横 一丈青扈三娘 混江竜九紋竜史進 五万 黒旋風李逵 混江竜李俊 馬弔使ったカードゲームは、明末には総称して葉子戯」といった。葉子戯に使うカードのことを「馬弔」と呼ぶのも、後世の人の言い方にすぎない。明代の葉子戯で記録の残るものには、馬弔・看虎・扯章(扯張とも書き、「扯三章・扯五章」の2種類があった)の3種がある。看虎と扯章では馬弔十字門から「千万」以外をすべて除いた30カード使用していた。同様に30だけのカード使って行うゲームおよびカードのことを、清代には遊湖と呼んだ馬弔・看虎・扯章の3種類のゲーム派生関係にはなかったが、清代に「馬弔」をカードの名称したために、看虎・扯章を馬弔から派生した誤解するようになった明代にはゲーム名カード自身の名前ははっきり呼び分けられていた。馬弔・看虎・扯章は、明の『葉子譜・続葉子譜・運掌経』および文学家馮夢竜の『牌経十三篇・馬弔脚例』の中で、つねにゲーム名称として使われカード自身は「葉子崑山牌・牌」等とさまざまに呼ばれたが、「馬弔」と呼んだ例はない。 ゲームとして馬弔明末流行し多く士大夫迷わせた。清の初めには「明は馬弔滅んだ」という説さえ現れた。馬弔古代麻雀であると考える人があるが、しかし『葉子譜・続葉子譜・馬弔脚例』によれば、明代の葉子戯はすべて大を以て小を撃つトリックテイキングゲームであり、麻雀のようなラミー系のゲームはまった異なっていた。 明代において、「葉子」という語は、さらに酒牌を意味することもあった。これは酒令のための道具であり、カードの構成馬弔似ていたが、サイズカードのデザイン違いがあった。現存最古の酒牌は明の万暦年間の『元明戯曲葉子』で、潘之恒の『葉子譜』と同時代のものである。『葉子譜』によると、「葉子始於崑山、初用『水滸伝中名色為角抵戯耳、後為馬掉……銭数賤九而貴空殊、倒置有味」、しかし「至酒牌出而古意逾失、用之逾浅。禅爵花妓、既已不倫、甚至淫媟欲嘔、徒敗人興」とあり、最初にゲーム用の葉子があり、そこから酒令用の葉子ができたようである。なお、酒牌を「葉子」とは言ったが、それを使った酒令のことを「葉子戯」ということはなかった。 馬弔カード麻雀牌対応関係次の通りとされている: 文銭門(一銭~九銭)-筒子 索子門-索子 万字門-萬子 空没文(齾客・空湯・空湯瓶・空堂・空文)-白 千万(千兵・老千)-發 半文銭(花・半花・半齾)-中 千万以外の十字門には対応する麻雀牌がなく、また麻雀風牌対応する馬弔カードはない。

※この「明代の葉子戯」の解説は、「馬弔」の解説の一部です。
「明代の葉子戯」を含む「馬弔」の記事については、「馬弔」の概要を参照ください。

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