日産ディーゼルのUD型搭載車史
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「民生産業」の記事における「日産ディーゼルのUD型搭載車史」の解説
1960年(昭和35年)- 民生デイゼル工業が日産ディーゼル工業 へと社名変更し、合わせて総販売会社、日産民生ジーゼル販売 を日産ディーゼル販売 と社名変更。 1961年(昭和36年)- 6TWDC12 6TWベースのキャブオーバー型11.5 t積。全長10.16 m 軸距5.1 mで荷台長7.6 m GVW 19.555 t は当時国内最大。同年、埼玉県上尾市に11万坪の土地を購入、上尾工場建設に着手。製品名をそれまでの「ミンセイ」から、「ニッサンディーゼル」に改称。 1963年(昭和38年)- UE680型 日産ブランド680型トラックの5.5 t積キャブオーバー車UD3型123 ps搭載。後1966年(昭和41年)に6 t積UEG681型サングレイト6へ進化 1964年(昭和39年)- キャブオーバー車のキャブを、8 t積と11.5 t積で共通の物へとモデルチェンジし、サングレイトの愛称が付く。 1966年(昭和41年)- UD33 / 43 / 63 / 50 UD型エンジンが改良され、直列3気筒が130 ps、直列4気筒が175 ps、直列6気筒が240 psとなり、新たに直列5気筒215 psとV型8気筒330 psが追加。 1968年(昭和43年)5TVC10型 パワーステアリング採用の前2軸10 t積トラック。UD5型を搭載 6TWC13T 第5輪荷重12 t(トレーラー積載20 t)のセミトレーラー用トラクター。UD6型搭載 8TVW70C型 当時国内最大の80 t吊クレーン4軸シャーシー。UDV8型を搭載 1969年(昭和44年) 将来の排出ガス規制や騒音規制のため2ストロークディーゼルの廃止を決定、コンベンショナルな4ストロークディーゼルエンジンを新開発、4ストローク直6のPD6型(10.3 L・185 ps)をPT系トラックに、同ND6型(6.8 L・135 ps)をU、UE、UG、DUのニッサントラック系に搭載する。翌1970年(昭和45年)PE6(11.7 L・220 ps)をC*系トラックに搭載。ニッサントラック系は廃止 1971年(昭和46年)- C*系トラックをフルモデルチェンジすると共に、日本初の直噴ターボPD6T型265 ps搭載。それまでの予燃焼室ターボの未解決問題がこのPD6Tで一挙に解決した。 1972年(昭和47年)4ストロークV型8気筒のRD8型(14.3 L・280 ps)と、V型10気筒のRD10型(17.9 L・350 ps)をラインナップ。 TW50系 4ストロークディーゼルの大型ボンネットトラック。6TW型系の人気は絶大であった。 1973年(昭和48年)- UD系エンジンを搭載した*T系トラック、*R系バスが生産終了するが、V型12気筒のUDV12搭載の重ダンプWD38型が登場。全幅3.8 m、最積量38 t、車両総重量70 t の巨体で、同社の2ストロークディーゼルトラックの最後を飾る。
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