日活ロマンポルノの評価を高める
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 08:41 UTC 版)
「一条さゆり 濡れた欲情」の記事における「日活ロマンポルノの評価を高める」の解説
1972年10月7日、「一条さゆり 濡れた欲情」は公開された。映画は大ヒットとなって日活ロマンポルノの評価、社会的認知を高め、一部の映画批評家からも評価されて、1972年度のキネマ旬報日本映画ベストテン8位、映画芸術ベストテンの2位となった。脚本を執筆した神代辰巳は「白い指の戯れ」での共同脚本執筆の評価と併せ、1972年度キネマ旬報日本映画の脚本賞に選出され、主演の伊佐山ひろ子はやはり「白い指の戯れ」での演技の評価と併せ、1972年度キネマ旬報日本映画女優賞を獲得した。 監督の神代辰巳にとって「一条さゆり 濡れた欲情」は出世作となった。初作の「かぶりつき人生」の大失敗後、日活のお荷物扱いであった状況から一変し、神代は立て続けにロマンポルノ作品を撮影、公開していく。1970年代前半に神代が監督を務めた作品の多くには、「一条さゆり 濡れた欲情」にちなんで「濡れた」が作品名に冠せられた。そして「四畳半襖の裏張り」、「赫い髪の女」に代表される優れたポルノ映画作品のみならず、1974年の「青春の蹉跌」、1994年の「棒の哀しみ」等も高い評価を集め、日本を代表する映画監督の一人となっていく。 映画評論家の佐藤重臣は、1972年の日本映画界を「日活ロマンポルノあるのみ」と評価し、神代辰巳の登場を「ひときわ目立つ」とした上で、ポルノ映画と並んで日活の会社再建四本柱のひとつとされていた、大作映画の制作が無意味なものに思えてくると論評した。蓮實重彦も「一条さゆり 濡れた欲情」によって、決して確たる見通しがあって始めたわけではない日活ロマンポルノ路線ではあったが、「はからずも一つの路線を定着させてしまった」と評価している。 一方、キネマ旬報1972年度日本映画のベストテン発表後、映画評論家の津村秀夫は、「ポルノ映画がベストテンに入ったり、ポルノ女優が女優賞を貰ったりするキネマ旬報ベストテン選考委員を辞退したい」と申し出て、選考委員を辞めた。津村以外も複数のキネマ旬報ベストテン選考委員が辞めていった。また、「一条さゆり 濡れた欲情」は、一条さゆり本人の裁判に大きな影響を与えた。映画の撮影によって検察側は、「映画に出演したことは、本人の申し立てと異なり引退を撤回し、カムバックを行う意図がある」と申し立て、当初予定されていた判決は延期となり、審理のやり直しとなった。前述のようにそもそも日活ロマンポルノシリーズは「猥褻図画公然陳列罪容疑」で摘発され、裁判が始まっていた。そこに「公然わいせつ」の容疑で裁判中の一条さゆりが日活ロマンポルノシリーズの映画に出演したわけで、検察側としては看過出来なかった。プロデューサーの三浦朗が弁護側の証人となり、「一条さゆり 濡れた欲情」のみならず日活ロマンポルノそのもの、そして一条さゆり本人を弁護する証言を行った。一方、検察側は一条さゆりに映画出演に至る経緯を問いただし、更に映画撮影時に「本当に前貼りで陰部を覆っていたのか」等の尋問を行った。
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