日活の参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:27 UTC 版)
1954年に映画制作を再開した日活は石原裕次郎ら独自の新人スター、ニューフェイス発掘に成功し、男性アクション路線も大人気で定着した。それにより当初の目的は失われる。1958年9月には日活も協定に参加し「六社協定」となる。六社協定では「スターを貸さない、借りない、引き抜かない」の三ない主義を打ち出している。1961年には新東宝が経営破綻し、再び五社協定となる。
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