日活のスターに
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1932年(昭和7年)12月、松竹蒲田から日活太秦撮影所時代劇部へ移籍し、1933年(昭和8年)公開の辻吉郎監督映画『霧行燈』で大谷日出夫と共演したのを始め、同年の犬塚稔監督映画『長脇差風景』では大河内傳次郎を助演するなど、二枚目俳優として活躍する。また現代劇にも進出し、夏川静江、深水藤子、市川春代、水久保澄子らと共演している。1934年(昭和9年)からは新設の日活多摩川撮影所へ移り、多くの作品で活躍。特に女学生に人気があった。 1935年(昭和10年)、今度は日活京都撮影所へ移り、沢田清、岡譲二、江川宇礼雄らと共演したあと再び多摩川撮影所に戻り、原節子のデビュー作である田口哲監督映画『ためらふ勿れ若人よ』に主演。特に同年入社した花柳小菊(1921年 - 2011年)とは一般募集で当選した「あこがれコンビ」と名づけられて売り出された。また舞台にも再び進出し、1936年(昭和11年)1月、大阪中座の「己が罪」では後に妻となる岡田嘉子(1902年 - 1992年)の子供役を務めている。1937年(昭和12年)頃から脇役を演じる事が次第に多くなるが、1940年(昭和15年)の春原政久監督映画『人情ぐるま』までは、橘公子、風見章子等を相手役に主演を務めていた。しかしその後は完全に助演に回り、1942年(昭和17年)からは日活が吸収された大映に移籍し、一時期東宝の映画にも出演していた。
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