日活から松竹へとは? わかりやすく解説

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日活から松竹へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 10:13 UTC 版)

鈴木傳明」の記事における「日活から松竹へ」の解説

明大商科卒業して1924年大正13年3月4日日活京都撮影所入社する入社第1回作品溝口健二監督の『塵境』で、浦辺粂子相手役樵夫演じた当時日本人としては珍しい長身がっしりとした体躯エキゾチックな容貌で、たちまち新し二枚目俳優として人気集め学生スポーツ映画我等若き日』、村田実監督の『金色夜叉』、溝口監督の『曲馬団女王』などに主演した1925年大正14年1月鈴木日活宣伝部企画東海道オートバイ旅行行い所員総出見送り京都出発するが、箱根の宿に待ち構えていた松竹側の人間口説かれて、歓迎陣が待つ日活へ行かず松竹本社玄関オートバイ横付けにし、そのまま松竹蒲田撮影所入社する。これは松竹スター女優だった梅村蓉子日活引き抜かれお返し松竹画策したことであった見丈夫監督の『春は来れり』が蒲田第1作となり、『恋の選手以降牛原虚彦とのコンビ明朗な青春映画多く出演する1926年大正15年)は菊池寛原作の『受難華』で栗島すみ子筑波雪子らと共演して人気高め1927年昭和2年)は『昭和時代』『海浜女王』、1928年昭和3年)は『近代武者修行』『感激時代』で田中絹代共演し、続く『彼と東京』では八雲恵美子共演。この作品東大出の牛原と明大出の鈴木のインテリコンビの近代的センス期待するファン当て込んで北村小松脚本書き大学出のサラリーマンリアルな生活描写描いた新鮮さ好評となった。これがシリーズ化され、『彼と田園』では田中絹代相手役にし、ここに牛原・鈴木田中ドル箱トリオ完成する以後もこのトリオで『陸の王者』『彼と人生』『大都会 労働篇』『若者よなぜ泣くか』などが作られ好調続けた。牛原監督以外では、清水宏監督の『京子倭文子』、島津保次郎監督の『海の勇者』などに主演し1926年大正15年)には『海人 南国篇・都会篇』で監督脚色兼ねた1930年昭和5年1月大幹部昇進する

※この「日活から松竹へ」の解説は、「鈴木傳明」の解説の一部です。
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