日本語における宗教の語源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:03 UTC 版)
「神社非宗教論」の記事における「日本語における宗教の語源」の解説
英語の“Religion”を「宗教」と訳したのは小崎弘道である(初出:宗教要諦)。なおそれ以前は福澤諭吉が「宗門」「宗旨」(初出:福澤諭吉集)と、中村正直が「法教」(初出:西国立志編)と訳していた。つまり、当時の知識人にとって、「宗教」の意味は「ある教理に対して従う」と捉えられていた。 D. C. ホルトムに影響を与えたとされている、加藤玄智によれば 日本のキリスト教が、宗教の邦語訳を案出するにも、キリスト教が真の宗教だという考えがその背景に在ったことは疑はれない。ただ日本としては、仏教と言う一大世界的宗教が、キリスト教の世界的宗教先だって、事実存在しており、信者も相当に在り、我が国に、千有余年の歴史を有し、僧侶中には高僧碩学も少なくなかった。キリスト教徒さえも誰も、此事実は無視する訳にいかなかったろうから、そこで宗教の訳語普及に当つても、宗教の中で、1番偉大なのはキリスト教、これに仏教を加えて、先づ之を宗教と云ふ訳語の中に入れても良かろう位の考えはあったろうと思う。換言すれば、仏教・キリスト教のような世界的宗教・個人的宗だけを眼中において、宗教の訳語を捻出し、宗教学上の部族宗教・国民宗教即ち団体教の如きは、夢にも知らなかったのである。 つまり、神道は訳語「宗教」には含まれなかったというのである。 加藤玄智が、仏教を意識しているのは、浄土真宗の大谷光瑞らによるシルクロード探検によってもたらされた、仏教の広がりでもあると考えられている。しかしながら、小崎弘道が翻訳した宗教は、中国語訳の聖書から得られたものと推定されている。 なぜならば、「宗」の意味は「祖先の霊を祭る家屋(みたまや)」(中文:在室內對祖先進行祭祀)からきており、「教」は教えるである、具体的には「知らしめる」という意味である。 つまり、祖先信仰を前提にした翻訳だったと推定されている。実際に、日本では、「神仏習合」により「御霊信仰」を始めとして、仏教由来と思われるアニミズムの信仰が存在しており、それと同義としたのであろう。 そしてキリスト教者であった、小崎弘道からすれば「カトリックの教義において、教会はイエス・キリストが定めた教皇制度により、その子孫であるという伝統を保持して」いることを知り、そこから翻訳を案出したと推定されているからでもある。 使徒口伝 26章 5 彼らはわたしを初めから知っているので、証言しようと思えばできるのですが、わたしは、わたしたちの宗教の最も厳格な派にしたがって、パリサイ人としての生活をしていたのです。6 今わたしは、神がわたしたちの先祖に約束なさった希望をいだいているために、裁判を受けているのであります。
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