日本でのグラッドストン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 01:37 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「日本でのグラッドストン」の解説
日本においてグラッドストンは同時代の明治時代に最も人気があった政治家であった。とりわけ福沢諭吉や大隈重信、中江兆民といった自由主義派がグラッドストンを深く尊敬していた。福沢はしばしば、伊藤博文ら保守派が尊敬するビスマルクを「官憲主義」、グラッドストンを「民主主義」として対比して論じた。明治時代の日本のグラッドストン伝記としては徳富蘆花のものと、守屋貫教・松本雲舟のものが有名である。 大正時代になるとグラッドストンが過去の政治家になってきて、彼を論じた文献も減っていくが、1922年(大正11年)には大隈の薫陶を受けた憲政会所属の衆議院議員永井柳太郎がグラッドストン伝記を著している。永井は後に拓務大臣を務めて植民地行政を監督することになるが、グラッドストン思想を受け継いで帝国主義政策の改善にあたった。 昭和初期には普通選挙法制定など民主主義の進展があったものの、世界大恐慌、昭和恐慌、世界のブロック経済化、全体主義国の躍進などの影響を受けて、国粋主義の風潮が強まっていき、議会政治が時代遅れ扱いされはじめ、グラッドストンへの注目度も下がっていった。とはいえグラッドストンへの関心が完全に消えさったわけではなく、永井の本は昭和に入ったのちも重版され、またアンドレ・モーロワのディズレーリの伝記(グラッドストンについての言及も多数)が翻訳されたり、円地与四松がグラッドストン伝記を著したりした。円地はその中で「最近は議会政治も凋落したが、19世紀以来世界大戦までは議会政治が最も理想的な政治形態とされていた。その議会政治を代表する英国において、とりわけ議会政治家の典型を求めるならばグラッドストンをおいて他にはないだろう。」と時代を反映したような一文を書いている。 戦後、議会政治の復活とともにグラッドストンへの言及が再び増えた。戦後のグラッドストン伝記で著名なのは1967年(昭和42年) に出版された神川信彦のものである。神川の本が出た頃の日本は、高度経済成長期で、黒い霧事件など政治汚職が噴出し、また大学改革を訴える学生運動が頻発していた。こうした社会情勢から大学教授だった神川は「理想をもった政治家」を待望してグラッドストンの伝記を書こうと思い立ったのではないかと関東学院大学教授君塚直隆は推察している。 [先頭へ戻る]
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