日本でのクトゥルフ神話
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「クトゥルフ神話」の記事における「日本でのクトゥルフ神話」の解説
日本でのクトゥルフ神話の始まりは、少なくとも1956年において早川書房のアンソロジー『幻想と怪奇2』に「ダンウィッチの怪」の収録が確認されている。ラヴクラフトやクトゥルフ神話が広く知れ渡ったのは、1972年のS-Fマガジン9月臨時増刊号で、クトゥルフ神話が初めて特集されたこと。翌1973年の専門誌『幻想と怪奇』第4号で「ラヴクラフト=CTHULHU神話」と題され特集された。 1972年に創土社から日本最初のラヴクラフト作品集『暗黒の秘儀』が刊行され、続いて1974年に創元推理文庫から『ラヴクラフト全集1』が刊行され、80年代にはクトゥルフ神話作品が複数のレーベルから盛んに翻訳紹介された。 日本における翻訳ではない最初のクトゥルフ神話作品は、小説現代1977年4月号掲載の山田正紀の短編『銀の弾丸』である。高木彬光の短編『邪教の神』(1956年)とする意見もある。最初の長編クトゥルフ神話の作品がいずれであるかは定かではないが、菊地秀行は1980年7月より刊行の始まった風見潤の『クトゥルー・オペラ』シリーズがそうなのではないかと指摘している。80・90年代の日本製クトゥルフ神話は、ほとんどが活劇として書かれ、またジュヴナイルであったことが指摘されている。朝松健は、日本でのクトゥルフ神話の普及に最大の功績を果たしたのは栗本薫の『魔界水滸伝』と述べている。80年代に刊行された『真ク・リトル・リトル神話大系』の読者カードを集計したところ、78%が『魔界水滸伝』を読んでクトゥルフ神話に興味を持ったと回答していたという。日本ではSF作家が好んで取り上げ、漫画やコンピュータゲームのジャンルにも導入された。 先述のTRPGも1986年に日本に入ってくる。TRPGは英語圏の作品を豊富に取り込んでいるが、日本では作品の方が翻訳されずに、ずれがあるという状態になっている。
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