日中戦争・太平洋戦争での活躍とは? わかりやすく解説

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日中戦争・太平洋戦争での活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 04:39 UTC 版)

孫立人」の記事における「日中戦争・太平洋戦争での活躍」の解説

1937年民国26年)、日中戦争勃発すると、孫立人率いる税警総団は第8軍番号与えられ上海最前線赴くことになる。孫立人支隊司令として蘇州駐留して第1軍軍長胡宗南指揮下で日本軍迎撃する孫立人率い第8軍戦闘力発揮して日本軍打撃与えたが、孫立人自身最前線指揮中に全身13所を負傷緊急搬送されて香港治療せざるを得なくなった。翌1938年民国27年7月孫立人部隊復帰し武漢会戦勇戦軍功をあげている。 同年中に財政部が塩務総局緝私総隊を組織すると、孫立人が総隊長任命された。孫立人湖南省部隊組織開始し、後に貴州省移って貴州第3綏靖司令任命されている。孫立人軍事訓練各種体育活動取り入れ独特な方法採用し、わずか1年で緝私総隊を最精鋭部隊にまで練成した。ところが軍統指導者戴笠がこの部隊接収しようと企むうになる1940年民国29年)に塩務総局が緝私署設置し署長戴笠腹心の施展技、副署長孫立人就任した機会狙い戴笠孫立人折衝してその部隊指揮権奪い取ってしまった。 その後、かつて孫立人統率していた税警総団は新編38師に拡充再編され孫立人は同師師長として復帰する1942年民国31年4月孫立人率い新編38師はその精鋭ぶりを蔣介石らから評価され中国遠征軍(中国語版)の一員としてミャンマー入りした。同月孫立人はイェナンジョンの戦い英語版)で日本軍激戦展開し包囲落ちて苦しんでいたイギリス軍7000人の救援成功するという軍功をあげた。これは孫立人名声大きく轟かせることになり、英米両国から勲章授与されることになった5月にもイギリス軍ミャンマーからの撤退支援し8月インドビハール州移駐している。 10月新編38師と新編22師が合流して新編第1軍中国語版)が組織され軍長鄭洞国就任孫立人引き続きその下で新編38師長務め、軍の訓練従事した1943年民国32年10月より、新編第1軍ミャンマー北部日本軍反攻開始する孫立人友軍協力しながら着実に各地攻略し6月25日にはモガウン(Mogaung)を攻略勝利を収めた。この軍功により孫立人新編第1軍軍長昇進している。10月より進軍再開日本軍激戦繰り広げ12月15日バーモ(Bahmo)を攻略した。翌1944年民国33年1月27日にはレド公路回復3月末までにミャンマー北部日本軍をほぼ掃討している。

※この「日中戦争・太平洋戦争での活躍」の解説は、「孫立人」の解説の一部です。
「日中戦争・太平洋戦争での活躍」を含む「孫立人」の記事については、「孫立人」の概要を参照ください。

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