新しき美の追求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 10:17 UTC 版)
ヨーロッパの世紀末芸術は、フランスでは「アール・ヌーヴォー」(新しい芸術)、イギリスでは「モダン・スタイル」(近代様式)、ドイツでは「ユーゲント・シュティール」(青春様式)とよばれ、いずれも、新たなる美の創生をあらわす多彩な動きとして世人の大いなる関心と期待が寄せられた。この芸術工芸運動は、国により、また地域によって異なった名称を有してはいたが、造形美術だけではなく、建築、工芸デザイン、ポスター、挿絵などあらゆる分野にわたる双方向的な交流・影響関係がみられた点と、華麗な曲線模様を主体とした新しい美学を追求したという点で、互いに似た要素をもっていた。 ウィリアム・モリスを中心とするイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動、雑誌『ルブュ・ブランシュ』の周囲に集まったロートレックやナビ派の若者などフランスの芸術家たち、ベルギーの前衛芸術グループ「自由美学」に集った人々、ドイツの雑誌『ユーゲント』や『パン』を舞台に活躍した芸術家たちが、それぞれにみずからの個性的特色を保ちつつも、この広範な世紀末芸術運動に参加した。ロートレックが油彩を描き続けたまま、果敢にポスターに挑戦したのも、この分野に新しい可能性をみたからであろう。 かれらが新しさを求めたことは、その運動の名称そのものにも表れているが、ミュンヘン、ウィーン、ベルリンで相次いで結成をみた分離派もまた、いわば過去からの「分離」を唱えている点で共通の傾向をもっていた。なかでも1897年にクリムトが結成したウィーン分離派は、一方ではオスカー・ココシュカやエゴン・シーレなどいっそう表現主義的な画家を生み出した一方で、のちに「建築は必要にのみ従う」と唱えたオットー・ワーグナー、さらには「装飾は犯罪である」としてシンプルな造形性のみを求めたアドルフ・ロースのような建築家の成立も促した。 文学分野においては象徴主義(サンボリズム)が起こり、生涯にわたって詩の可能性を求め続けたステファヌ・マラルメ、その破滅的な人生とともに「秋の日の ヴィオロンの……」などの訳詞で知られるポール・ヴェルレーヌ、20世紀の詩人にとりわけ大きな影響を与えたアルチュール・ランボーら真に偉大な詩人たちが続々と現れた。ドイツでも、「神は死んだ」ということばで有名なフリードリヒ・ニーチェが現れ、『ツァラトゥストラはこう語った』で永劫回帰と超人への意思という独自の哲学を確立した。
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