新しくできた土地の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 19:33 UTC 版)
「新潟市の行政区域の変遷」の記事における「新しくできた土地の開発」の解説
1655年(明暦元年)に現在地へ移転したときの新潟町の範囲は、寺町(現西堀通)と大川前通(現上大川前通)の間で、通り筋の北側の町はずれはだいたい洲崎町(現古町通13番町)であった。大川前通の「大川」は信濃川を指し、文字通り信濃川左岸に面した通りであった。 信濃川河口は、川によって運ばれる土砂の堆積によって次第に東へ移動し、町外れから河口までの距離は毎年伸びていた。また、信濃川左岸の新潟町側には砂州が付いたり、中州が寄り付いたりしていた。こうしてできた信濃川縁のの土地は、榛木島(はんのき)、秣島(まぐさ)、毘沙門島(びしゃもん)、上島(かみ)、下島(しも)などと呼ばれた。 一方、海岸側も信濃川が供給する土砂によって砂丘が増え続け、海岸線は沖合へ伸びていった。新潟町では、年々新しい土地が生まれていた。新潟町の人々は、信濃川寄りに生まれた土地を浜手、海岸寄りの砂丘地を山手と呼んでいた。
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